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富山県魚津市の郷土民謡 魚津せり込み蝶六保存会のホームページです。

TEL.0765-23-0833

〒937-0041 富山県魚津市吉島1-12-11

音頭解説concept

コンセプト

音頭解説

○魚津せり込み蝶六
【正調舞台音頭】(魚津四季) 歌詞
【本唄古代神】 歌詞 解説
【念仏口説きと窪田氏について】   解説
【二十八日口徳について】   解説
【二十八日口徳】(歓喜嘆) 歌詞 解説
【親鸞聖人について】   解説
【蓮如上人について】   解説
○盆踊り詞章集について
★蝶六川柳 歌詞  
○口説き節の詞章
【お吉清三口説き】 歌詞  
【愛本粽口説き】 歌詞  
【見真大師口説き】 歌詞  
【石童丸口説き】 歌詞  
【白井権八小紫口説き】 歌詞  
【魚津蛇石口説き】 歌詞  
【阿波の鳴門巡礼おつる口説き】 歌詞  
【親鸞聖人御難儀苦業口説き】 歌詞  
【新お吉・清三口説き】 歌詞  
【鈴木主水白糸口説き】 歌詞  
【魚津小町おしげの恋】 歌詞  
【佐倉宗吾一代口説き】 歌詞  
【西院の河原地蔵口説き】 歌詞  
○短文集
【祈願口説き】 歌詞  
【出戻り口説き】 歌詞  
【器量の良い娘】 歌詞  
【頼りづくし】 歌詞  
【好きづくし】 歌詞  
【豆づくし】 歌詞  
【かかづくし】 歌詞  
【上手づくし】 歌詞  
【旨いづくし】 歌詞  
【困るづくし】 歌詞  
【言うは尽くし】 歌詞  
【炭焼きづくし】 歌詞  
【染めづくし】 歌詞  
【髪づくし】 歌詞  
【髪づくし】 歌詞  
【毛づくし】 歌詞  
【鶴と亀】 歌詞  
【殿ま口説き】 歌詞  
【松づくし】 歌詞  
○祭文文句 歌詞 解説
○流し川崎 歌詞 解説

【魚津せり込み蝶六】正調舞台音頭(魚津四季)Top ▲
作・道音林松(昭和56年)

(前唄)

ハア、ハイヤーアア、アア、アア

ハーアア、アア、イーイイイヤアアアイ

ハーアア、アア、ヨーイヤヨーイ

(はやし)

ヨーイヨーイ

(流し川崎)

ハーハイヤーア ハアイーヤアーワ

越中魚津の蝶六踊りよ

目出度い 踊りでこれわいどうじゃい

(はやし)

ソホリヤヨイ

ハイナハ イヤアイ

魚津よいとこ 住みよい所よ

旅の鳥さえ アノ所帯もつよ

ちょいと一座の 皆様よい

(はやし)

ソホリヤヨイ ハイヤ

魚津名所で これわいどうとこへんなは

(はやし)

ハ アンリヤハイトサーハ

ヨイヤコノショイ

【本唄古代神】Top ▲

おらあがさーはあよー

おいやい

これからこれわい

なにごーと

え何用とさてたずねりや

春の角川 布子の谷じゃ

山がかすめば 山菜摘みよ

遠い歴史の 金山跡に

流れ止めた さてダムの水

山の肌さえ 素敵じゃないか

影すあの娘の 目許が可愛い

えさてこれから

これさなーあにごと

はいとさあはよーい

(はやし)

ジャントコイ ジャントコイ

はりやその勢では これわい

どうとこへんなは

(はやし)

ハ、アンリヤハイトサーハ

ヨイヤコノショイ

おらあがさーはあよー

おいやい

これからこれわい

なにごーと

え何用とさてたずねりや

夏の潮風 水族館に

魚津市の花 鹿乃子の百合よ

十二なる里 心をつなぎ

魚津まつりの 蝶六踊り

夏の夜空に 流れる音頭

君もあなたも お囃子たのむ

えさてこれから

これさなーあにごと

はいとさあはよーい

(はやし)

ジャントコイ ジャントコイ

はりやその勢では

これわいどうとこへんなは

(はやし)

ハ、アンリヤハイトサーハ

コイセコノショイ

(ちょんがら)

やーれやれ、やーれやれ

一座の皆様方よ

秋の味覚は 魚津のりんご

早く開けた 天神遺跡

お湯は金太郎 北山薬師

五穀豊饒 稲穂の実り

恵みふくらむ 魚津の里よ

お国自慢は 蝶六踊り

(はやし)

ハ、ヨイトコヨイトコ

はりやその勢では これわ

いどうとこへんなは

(はやし)

ハ、アンリヤハイトサーハ

ヨイヤコノショイ

おらあがさーはあよーおいやい

これからこれわいなにごーと

え何用とさてたずねりや

冬の僧ヶ岳 僧眠らせて

魚津港よ 経田漁港

海に乗り出す さて男伊達

開け文化も 世界に伸びよ

せり込み蝶六 みな出て踊れ

踊るゆかしさ 香りを添える

えさてこれから

これさ なーあにごと

はいとさあはよーい

(はやし)

ジャントコイ ジャントコイ

(後唄)

はい目出度 めええでええたあ

ああーああの

あの若の松さあああまああーあよーい

枝も栄える 葉もしいげええるーい

(はやし)

ソリヤ 目出度い踊りじゃ

イヤサカ サッサ


【本唄古代神 解説】Top ▲
布子谷…山合いを流れる角川を中心にして鹿熊村から出村までの田園の地下に、昔からなまあたたかい水が年中流れている。「すり鉢の底」と言われている。

十二なる里…魚津市の校下。市内12校下がある。
五穀…重要な穀物、米・麦・あわ・きび・豆の五種の事。
豊饒…穀物がよく実ること。豊作。
僧ヶ岳…魚津で2番目に高い山。
僧ねむらせて…冬の間、雪にとだえる事。

【念仏口説きと窪田氏について】Top ▲  菊川与次郎氏(明治29年生)は大正6年上野方石垣村の道路工事の際に旅の老婆から念仏口説きを習ったという。極楽浄土の有様を歌ったありがたい詞章である。昭和45年7月日本万国博出演用の詞章として、窪田見次氏(上野方大海寺野出身 大正2年生)の修正により作成されたものである。 窪田氏は大変蝶六音頭が好きな方でいつも若手音頭育成を願っておられた人である。また窪田氏は当時蝶六音頭会の発足人であり研究家でもあった。

○窪田見次氏の作
・石動丸口説き…唄伝承者 宮坂彦成
・おしんの苦労…唄伝承者 宮坂彦三

昭和58年郷土民謡みのり会表彰受賞]
昭和61年魚津せり込み蝶六保存会表彰受賞

【二十八日口徳について】Top ▲  文明3年(1471年)蓮如上人は、北陸各地を教化するにつき、御和讃など沢山お作りになり門信徒や信仰者に唱和させてその布教に努めたと言う。信後相続歓喜嘆の中に書かれている二十八日口徳は昔から庶民に親しまれ、盆踊りにその口徳を聞き、あまりの有難さに合掌する人が多かったといわれている。現在は昔ほどではないが、山間部に行くと手を合わせて音頭を聞いて、おいでる人も見うけられる。この二十八日口徳は第三代覚如上人の作と言われてきたが、明治39年近角常観、南条文雄らの調査の結果、蓮如上人の作と決定する。小川寺光学坊住職、大谷清瑞氏の話(明治生)、二十八日口徳の詞章内容を説明しますと@茶呑み話の意味、A高祖聖人御苦労の事、B他力門機法一体の3つの意味からなりたっている。また二十八日口徳という名の意義は親鸞聖人の「命日」からつけられたものである。  尚、現在伝える信後相続歓喜嘆は明治28年京都書林西村護法館蔵版から再発行したもので特に本願寺派の家などに多い。
 蝶六保存会では真宗念仏踊りの詞章として大切に保存をし後世に伝承していくよう努めている。


信後相続【二十八日口徳】(歓喜嘆)Top ▲

ここに同行の 御茶呑み咄し

聞けば誠に 御縁となりて

二十八日 御日柄なれば

今日は緩りと 御茶呑むまいか

あまり渡世の 世話しき儘に

売るの買うのと 日夜を明かし

済むの済まぬと 子孫のことに

腹もたてたり 笑いもしたり

罪業ばかりで 月日をくらし

大慈大悲の 御恩の程に

懈怠ばかりで 年月送る

今日も空しく 過ぎ行くことは

電光稲妻 矢を射る如く

今日の御恩が 有るまいならば

今に無常の 日暮れとなりて

耳も聞こえず 眼力きかず

足手まといの 妻子や孫や

金銀財宝 家蔵田畑

山も林も うち捨ておいて

持つもならねば 持たせもならず

死出の山路や 三途の大河

阿傍羅刹に 追い立てられて

一人泣く泣く 閻魔の庭に

業の秤や 浄玻璃鏡

向うその時 いい訳たたず

右も左も 剣の山よ

追いつおわれつ 幾千万刧

焼かれ焦がされ 身を切り裂かれ

こぼす涙に 天をば仰ぎ

大地たたいて 七転八倒

泣けど叫べど その甲斐ないと

聞くも恐ろし 地獄の苦患

逃れがたきは 我身の上ぞ

数の仏の 御慈悲にもれて

とても叶わぬ 悪人なりと

見捨てられたる 大罪人を

阿弥陀如来は 助けん為に

五刧思惟に 思いをくだき

阿鼻の炎や 紅蓮の氷

毒の中にも 幾千万劫

忍び難きを 忍ばせ給い

私一人の その身代わりに

あなた一人が 身に引き請けて

一願積んでは 衆生をがために

一行積んでも 女人がためと

汗と膏の 御修行中に

施し給いや 御眼は

一恒河の 砂の如く

与え給いや 御身の耳は

毘富羅山の 如くとなりて

切らせ給いや 御身の肉は

千須弥山の 如くとなりて

捨てさせ給いや 御身の骨は

大鉄円山 如くとなりて

はがせ給いや 御身の皮は

三千世界の 大地の如く

しぼらせ給いや 御身の血汐

四大海より 多しと御座る

わけて女人は 疑い深く

五障三従の さわりがあると

女人成仏 誓いをたてて

重ね重ねの 御苦労なるぞ

釈迦の往来 八千やたび

弥陀の本願 聞かさん為に

かわるがわるに 七高僧と

唐や天竺 日本までも

渡り給いし 仏の御慈悲

知らぬ我身に 知らさん為に

高祖聖人 藤原氏へ

誕生まします 松若君の

わずか御年 九才の春に

輿や車を 乗り捨て給い

栄華栄耀の 御身の上が

娑婆は暫しと 無常をや観じ

滋鎮和尚の 御弟子となりて

比叡の御山へ 登らせ給い

二十年来 御修行中に

薬師如来へ 千日参り

それが足らいで 都のあなた

慈悲を司の 六角堂へ

寒さ夜な夜な 百夜の間

三里余丁の 山坂道を

雨やあられや 雪踏み分けて

谷を越えさせ 加茂川越えて

女人成仏 近道あらば

教え給えと 心に祈誓

さても不思議や 御夢想ありて

御告げあらたに 名も吉水の

清き流れの 御身の上が

妻や子供に 交わり給い

在家同事の 御身とならせ

人に笑われ 恥しめられて

義理も人情も 我等が為に

教え下さる 念仏門が

南都北嶺の 嫉みに依りて

京も田舎も 厳守停止

師弟諸共 御身の仇と

土佐や越後に 流され給い

輿や車の 御身の上が

墨の衣に 墨袈娑懸けて

紺地草鞋を がまにて脛巾

笈も背中に もったいなくも

杖と笠とて 御苦労ありて

風の吹く夜も 雪降る中も

石を枕に 御難儀かけし

足も血潮に 北国関東

二十年余ヶ年 御化導ありて

弥陀の本願 聞かさにゃおかぬ

大慈大悲の 念力故に

こんな愚鈍や 手強き者が

今は邪見の 角をば折りて

御恩御慈悲と 細々ながら

耳を傾け 心を鎮め

聞く気出来たは 只事ならず

口に述べるも 恐れがあるぞ

八家九宗と 並ぶる中に

分けて我等が 御縁が深い

かかる御苦労 あるまいならば

こんな邪見や 慳貪者が

弥陀の本願 聞き分けましょうか

京も田舎も 日本国中

御化導あまねく 広まり給い

此処に居ながら 畳の上で

他力不思議の 南無阿弥陀仏

機法一体 願行具足

助け給えも 助かる法も

何もかも皆 此御六字に

こめて収めて たたんで巻いて

是をやるのじゃ 貰えよ早く

貰えさえすりゃ 悟りの都

楽の身となる 因じゃよ貰え

貰え貰えと 御勧めなさる

弥陀の本願 六字のいわれ

それを貰うに 手間暇いらず

知恵もいらねば 才覚いらず

富貴貧賤 姿によらん

罪も報いも 如来に任せ

かかる者をと 御受けが出来りゃ

あとと待たせず その場ですぐに

摂取不捨とて 光明の中に

修め給いし 大慈の不思議

最早何時 命が尽きよと

姿婆の因縁 終わるやいなや

花の台で 神力自在

かかる事ばり 聴聞すれば

娑婆は暫く 夢見し如く

善きも悪しきも 宿業次第

彼尊任せと 此の世の事に

ままにならぬが 御縁となりて

欲しい惜しいの その下からも

思い出しては ご恩の程に

命ながらえ あるそのうちに

仏祖知識の 御恩を学び

国の掟を 必ず守り

親に孝行 おこたるまいぞ

後生大事も 此の世の義理も

知らぬ我身に 教えの知識

かかる御恩を 御恩と知れば

善きにつけても 悪しきにつけて

思い出しては 行住坐臥に

唱えまいかや 只南無阿弥陀仏


【意味説明】Top ▲
罪業…罪となる悪のおこない
大慈…仏の広大な慈愛
大悲…衆生の苦しみをすくう。仏の大きな愛の事。
懈怠…なまける事。おこたる事。
電光稲妻矢をいる如く…きわめて短い時間を言う。
無常…人の世はいつも変化してはかない事。
死出の山路…死後の世界にあるというけわしい山や道を言う。
阿傍羅刹…悪い魂の一種で人をまどわし食うと言うもの。後に仏教の守護神となり夜叉とともに毘沙門の眷族とされる。
浄玻璃鏡…地獄の閻魔王の役所にあって死者の生前のおこないを写し出すという鏡。
七転八倒…いくども転び倒れる事。ころげまわって苦しむ事。
地獄の苦患…苦しみとなやみの世界。のたうちまわる事。
御慈悲…仏が人々に楽をあたえ苦をのぞく事。いつくしみ。なさけ。
阿弥陀如来…西方極楽浄土ですべての人を救うと信じられている仏。その名を唱えれば死後に必ず極楽にいけると言われる。真宗、浄土宗の御本尊。
五劫思惟…法蔵比丘は四十八願を立てて五劫という永遠に近い思索をかさねて阿弥陀如来になった。その四十八願が五劫思惟の願である。
阿鼻の炎…阿鼻地獄。地獄におちて苦しみ泣き叫ぶむごたらしい状態を言う。
紅蓮の氷…紅蓮地獄、八寒地獄の一つ。ここにおちた者はひどい寒さのため皮膚が裂けて血がふき出し、その血がまっかな氷になると言う。
施す…広くあらわす。めぐみをあたえる。
如く…たとえの意をあらわす。
一劫…百六十キロメートル四方の大石を三年に一度、天女が降りて、衣でぬぐい、ついに大石が磨滅してしまう期間を一劫という。
五障三従…女は「梵天」「帝釈」「転輪聖王」「仏」などになる事が出来ないと言う事。仏道修行のじゃまとなる5つのもの。「煩脳」「業」「生」「法」「所知」の五つを言う。「三従」三の服従すべきことの意で婦人の生涯について言う。一は家に居りては父母に従う。二は嫁としては夫に従う。三は夫死しては子に従うことで、この三あるため、婦人は常に不自由で、佛道修行に困難なるものとする。
釈迦…仏教の祖。
七高僧…「龍樹」「天親」インド「曇鸞」「道綽」「善導」中国「源信」「源空」日本親鸞聖人が師とした高祖。
唐…中国のこと。
天竺…インドのこと。
松若君…聖人の幼名。
慈鎮和尚…親鸞聖人の最初の師。父は関白藤原忠道、幼くして出家「天台宗」
百夜…百日百夜の事。
女人成仏…女の人が、なやみからはなれ仏の位を得る事。
心に祈誓…神仏にいのり、誓いをたてること。
御夢想…六角堂にて百日祈願の際にうつつ夢を見る。夢と現実との間の状態を言う。
南都北嶺…奈良と比叡山を言う。
愚鈍…おろかでにぶいこと。
邪見…正しくない見方。考え方。
慳貪者…欲張りなこと。けち。
富貴貧賎姿によらん…人間みな平等を言う。差別がなく一様である事。
如来にまかせ…阿弥陀を言う。
摂取不捨…仏が人々を極楽に導いて地獄におとさないこと。
光明…阿弥陀如来の広大な光。
花の台…見晴らしのきく屋根のない美しい高い建物。浄土の台。
聴聞…信者が宗教家の説法などを聞く事。
宿業次第…前世に行った善悪の行為。これが現世の「幸」「不幸」のもとになる。
仏祖…仏教の始祖である、釈迦牟尼如来。
行住坐臥…歩行するとき、止まっているとき、坐っているとき、臥しているとき、これを四威儀と稱し、人間の日常生活この外に出ざれば、常々にと伝ふ意に用ひる。親鸞傅繪下には、「ただ常没情にしたがひて、更に不浄をも刷事なし。行住坐臥に本願を仰ぎ」等とある。
南無…仏に身も心もおあずけして、只一念に命号を称えておがむこと。
阿弥陀仏…数えきれない無量と言う意味。如来とは真如の世界から我々凡夫を救わんとあらわれた人の事。

機法一体…機と法、即ち救済される衆生の機と、救済する佛の教法とは、元から互に離るべからざる関係があるということ。即ち、阿弥陀仏の法と、衆生の機との関係について、他力回向の内容を示す宗義上重要なる名目の一つ。従来この機法の相對につき、能照所照の関係、信行不離の関係、往生正覚の関係及び六字の名號において、それぞれに一体の義を立てる。一に能照所照の関係における機法一体とは、衆生の信心は、佛の光明に照らされて発されるものとし、信心と光明の間には母子的関係ありとする。願々鈔に、「遍照の光明にはぐくまれて信心歓喜すれば、機法一体になりて、能照所照ふたつなるに似たれども、まったく不二なるべし」とある。二に信行不離における機法一体とは、信即ち衆生の信心も全く名號であるということ。六要鈔に、「即に仏願に帰すれば、機法一体能所不二にして、自ら不行にして行ずるの理あり」とある。三に往生正覚における機法一体とは、衆生の往生と、仏の正覚とは離るべからざる関係あることについていう。存覚法語に、「仏の正覚によりて成ずるが故に、機法一体にして能所不二なるいはれあれば」とある。四に六字における機法一体とは、南無阿弥陀仏の六字の名號の内に、衆生が仏を信ずる機も、仏が衆生を救済する法も、共に具足してあるをいう。而して、これには、六字を南無の二字と阿弥陀仏の四字とに分け、南無の二字は機を表し、阿弥陀仏の四字は法を表すとなす場合と、六字全体が機と法を表すとなす場合とがある。前者を二字四字の機法一体といい、後者を六字六字の機法一体という。御文三帖目第七通に、「南無の二字は、衆生の阿弥陀仏を信ずる機なり。次に阿弥陀仏という四の字のいわれは、阿弥陀如来の衆生をたすけたまへる法なり。このゆえに機法一体の南無阿弥陀仏といえるのはこのこころなり」とあり、其の他御文に類文が多い。蓋しこれ救済体験から反省せられ、それが論理づけられた救済の内容である。

願行具足…浄土の往生についての願と行との具足を云う。他力救済の教にあたっては、仏の方より南無阿弥陀仏の六字の名號のうちに願行を具足して、これを衆生に回向し、衆生はその回向の名號を信ずる一念に、衆生の方の願行は具足されるので、衆生自身が自分の力にて起こし、行を励んで願行を具足せしめるのではないとする。


【親鸞聖人について】Top ▲

○誕生 叡山時代
親鸞聖人は承安3年4月1日(1173年)京都日野の里で御誕生される。父は藤原有範で元皇后大進、母は吉光御前、幼名十八公麿「松若丸」と言い兄弟は三、四人あったようである。4才で父を八才の時に母を亡くされ翌年養和元年(1181年)の春に京都東山青蓮院で出家される。出家後は比叡山に登り、20年間天台宗を学ばれる。身分は堂僧であったので、もっぱら常行堂につめて常行三昧を修されたという。常行三昧とは口に阿弥陀仏の名をとなえ心に阿弥陀仏をおもい浮かべながら本尊である阿弥陀仏のまわりを回る修行の事である。

○法然上人への師事と越後への流罪

29才の御年に天台宗の修業に行きづまりを感じられ親鸞聖人は比叡山を下りられる。下山後すぐに六角堂の救世観音に百ヶ日の参籠を行ない九十五日目に聖徳太子の霊告を得て法然上人の京都黒谷吉水をおたずねになり、そこで法然上人のもとから百々日かよいつづけ「生死をこえ出る道」を求められ、ついに法然上人の説く教えに従おうという堅い信念を持たれるに至った。

法然上人は末法の世の人間は知恵も力も劣っているからどんな修行も雑念が入って思うように続かず修業がたちきれてとても悟りが開かれない。だから阿弥陀仏の本願を仰ぎその救いの力を信じて念仏するよりほかに道はない。「この道だけが罪にけがれた者を、ひとしく生死をこえて出ることの出来る道である」と説いておられる。

この時より親鸞上人は範宴という名を綽空に改め法然上人の弟子となられる。

そして33才の時に法然上人から「選択集」の書写を許される。しかしその翌々年(承元元年 1207年)いわゆる承元の法難にあわれ法然上人と共に流罪に処せられる。

僧を罰する場合は一旦還俗させるという「僧尼令」の規定により親鸞上人は藤井善信となって越後国府居多ケ浜(上越市)に送られる。その時以来もはや僧でもない。またただの俗人でもないと言う事で「僧に非ず俗に非ずその故に禿の字をもって姓となす」と言われ、自ら愚禿となのられる。そしてこの流罪地越後で三善為教の娘「恵信尼様」と結婚され家族を営まれ二人の間には6人の子女があったと言われている。

○東国教化時代

 建暦元年(1211年)親鸞上人は5年の流人の生活から解放されるが、京都へはお帰りにならず家族と共に関東に移り住み、常陸の稲田郷を拠点とし「上野」「下野」「下総」「武蔵」「奥州」を広く教化され、多くの弟子を育てられる。関東における親鸞上人の主だったお弟子を上げれば、下野(栃木県)の真仏上人覚信房、下総(千葉県)の性信房、奥州大綱の如信上人らをあげられる。

○京都へ帰洛後の親鸞

 親鸞上人60歳の頃、20年余り住みなれた関東の地を去られ京都にお帰りになる。原因は定かではないが帰洛後は五条西洞院や三条富小路などを転々とされもっぱら著述に精力をそそがれる。寛元5年(1247年)親鸞上人75歳の頃主著「教行信証」を完成され翌宝治2年正月に「浄土和讃」「高僧和讃」230余首をまとめさらに「浄土文類聚鈔」「愚禿鈔」などを完成される。

 また関東の門弟に教義をわかりやすく説明して送られた手紙もあり、これは現在「末燈鈔御消息集」と名づけられている。祖師聖人は京都で30年にわたる生活を過ごされたが弘長2年11月28日、90歳の生涯を静かにお閉じになられる。

 そのときの様子を親鸞伝絵は「世間の事については全く口にされず、ただ阿弥陀仏の御恩の深いことばかりを申されており、声はと言えば、お称名ばかりとなえられ、ほかのことは全く言われなかった。」と伝えられている。

 世間的な御利益よりも信心を重く考え、親子関係より正法を第一に優先された親鸞聖人の最後にふさわしい専修念仏の大往生である。

【蓮如上人について】Top ▲  蓮如上人は応永22年(1415年)本願寺第七代門主存如上人の長男として、京都東山大谷の地でご誕生される。幼名「ほてい丸」永享3年(1431年)17歳の春に青蓮院で出家得度され「蓮如」と名のられる。同年4月比叡山に登られ6年間の苦行のうちに、22歳の3月叡山を下山され、奈良東大寺において8年間修業をされる。

 蓮如上人29歳の時、本願寺にもどられ33歳までの5年間親鸞聖人の「教行信証」を熟読し聖教を書写して勉学求道にはげまれる。同年の夏に関東に行き、親鸞聖人の旧跡を巡拝し、各地の人々に御教えを伝えられる。長禄元年(1457年)6月18日、父の存如上人がこの世を去られ、越中井波瑞泉寺住職如乗上人(叔父)の推挙により第八代本願寺門主になられる。寛政2年11月(1461年)蓮如上人は宗祖親鸞聖人二百回忌法要をつとめられ、形ばかりの信者や坊さんでなくほんとうの信者であり坊さんであってほしいと心から願われるのである。

 寛正6年(1465年)蓮如上人51歳のとき比叡山の僧徒らにより大谷堂舎を来襲し破却する。いわゆる寛正の法難といわれ蓮如上人はかろうじてのがれられ近江の堅田、金森などを強化をされながら文明3年5月(1471年)蓮如上人57才の時、本願寺と御縁の深い北陸の旅を思いたたれ越前の国吉崎大聖寺郊外の丘の上にお寺を建てて、北陸各地をさかんに布教される。また蓮如上人はこの頃御文(宗祖の教えをわかりやすく手紙の形式で語られたもの)や御和讃を沢山お作りになる。しかし上人の教えが繁栄していくにつれ、支配体制や権力からの解放を願う門徒衆が連帯し、一向一揆としてのエネルギーとなって行くとともに、それを利用しようと考える者が出て来たため蓮如上人は必死になってそれを防がれるが、しだいになかなかおさえきれなくなり、そのうえ文明6年(1474年)3月28日に南門付近から火災がおこり北門の方まで焼けてしまう。文明7年8月23日の夜、にわかに吉崎をたたれて、若狭、丹波、河内と伝道の旅をされ、河内の国出口の里に小屋をお造りになり3年におよび近国の布教にはげまれる。文明11年(1479年)蓮如上人は交通の便利な京都山科の地をお選びになり、本願寺の再建に着手され、同年11月、起工して、文明12年8月に本願寺御影堂が完成する。

 文明13年三井寺にあずけてあった親鸞聖人の御木像を迎えて報恩講を努められる。時に上人66歳で大谷破却から15年後の事であった。文明13年6月には山科本願寺阿弥陀堂、14年正月には大門が完成する。

 延徳元年(1489年)8月75才を迎え、後継を五男の実如上人にお譲りになり隠居される。隠居後も名号を沢山お書きになり、また近在地を教化される。明応8年(1499年)3月25日正午御年85歳をもって、眠るように静かに85年の生涯を真宗再興に捧げ尽くして如来の御国へ赴かれたのである。

★蝶六川柳Top ▲

・蝶六や 魚津まつりの 街流し
・鶯の 声になりたや 音頭とり
・梅雨明けて お盆近しと 蝉も鳴く
・ふる里へ 帰って明かす 盆踊り
・蝶六や 恋も芽生える 帰り道
・木の影で 昔偲んで 音頭聞く
・笠被り 声を張り上げ 玉滴
・花博で 川崎踊り 波にのる
・蝶六や 継いで残そう 保存会
・蝶六や 夜明けの烏の 音頭とり

作:宮坂彦成


○口説き節の詞章
口説き節の詞章は全国各地で二百集余りあるといわれている。口説きの分類は内容によって次のようになる。?仏教物、A祝儀物、B教訓物、C心中物、D地域の物、E伝承物、F世話物、G世間話的なもの、H情話好色的な内容のものなどに区別ができる。

 昔から地元でよく歌われたまた庶民に親しまれてきた詞章を紹介します。

【お吉清三口説き】Top ▲

(上段)
さても一座の 皆様方よ

語り上げます 其の物語

古き文句に さて御座れども

花の都に 其の名も高き

聞くも哀れや さていじらしや

お吉清三の 心中話

所 京都の 五條の町で

音に聞こえし 与右衛門様は

お店は大店 糸屋の渡世

番頭手代が 二十と五人

下女と下男で 七人御座る

店は繁盛で 有徳な暮し

夫婦仲には 娘が一人

名をば お吉と名づけられまして

蝶よ花よと 御育てなさる

月日たつのは 矢よりも早く

やがて十一 十二の年に

琴や三味線 謡はいかに

茶の湯 生花 断ち縫いまでも

人に勝れし 利発の生まれ

年も十六 相成りければ

都一なる 評判娘

立てば芍薬 座れば牡丹

腰はほっそり あの雨柳

他になびくな なびかせまいと

親を泣かせる 道理で御座る

器量の良い事 誓えて見れば

小野の小町か てるての姫か

誠お吉は 正札付きよ

其のや評判 聞く親達は

心や嬉しく 良い婿取りて

家督譲りて 安堵をせんと

両親様には 心配なさる

お吉清三の この世の破綻

親の心は 露知らなくて

解けるえにしは この矢のように

子飼育ちの 清三と言うて

年は二十を 二つも越えて

今は番頭 勤めも堅く

商い達者で 男も良くて

情けかければ 近所の人は

清三糸屋の ありゃ白ねずみ

清三あるので 糸屋も繁盛

清三噂の 良き事なれば

今はお吉が 清三に惚れて

女子に生まれた かいあるならば

小さいうちから 心も知れて

主人忠義は 親にも孝行

親に孝行が よろずのもとよ

どうぞ清三と 添いたいものと

梅の立ち木に 願掛け致し

或夜部屋にて 思いのたけを

文を細かに 書きしたためて

清三袂に そろりと入れる

まじめ堅気の 清三であれば

なんとまよって 途方に暮れる

大事大事の 主人の娘

親の許さぬ 不義いたずらを

すれば主人に いい訳たたぬ

わしが連れなく 返事をすれば

死ねる覚悟と 書いたる文よ

もしやあやまち あるその時は

さぞや両親 御嘆きなさろ

そこで清三が 悩んでいたが

いとし可愛いに つい引かされて

何時の間にやら 恋仲なれば

深きちぎりも 見山の桜

隠す気なれど 現れやすく

訳のありげの 二人の素振り

それと感づく 母親始め

父の耳にも そろそろ入る

其こで母親 気をもみまして

もしや清三と 手に手を取りて

二人この家を 駆け落ちしたら

どこに寄るべき 渚の舟で

沖にただよう お吉が難儀

とどのつまりは 女郎か下女か

或日お吉を 一間へ招き

お前清三と 人目を忍び

為の約束 不義いたずらを

隠す素振りは 父様始め

其れと言わねど 心配致し

それで良いぞと 捨ててはおけぬ

今日が今より 清三が事は

思い切るきか 切らぬかお吉

しかと返事を 聞かせてくれと

言えどお吉は さしうつむいて

顔に袖当て 涙にくれて

なんと返事も 只泣くばかり

親の仰せを 背くのじゃないが

わしと清三の 其の中こそは

炭と紙とが 決めたがえんは

婿に直して 添わしておくれ

他の殿御は わしゃもちませぬ

娘心の ただ一筋に

言うも恥ずかし これ母様よ

聞いて母親 途方にくれて

奥の一間へ 清三を招き

そちを呼んだは 他ではないが

娘お吉は 跡取り娘

聞けばそなたと 訳あるそうじゃ

其れと聞いては この家におけぬ

何処なりとも 出てゆきなされ

口に言うても 目にもつ涙

わらじ銭だと 多分の金を

投げて与えて 縁切らせんと

わざと腹立ち 一間へ入る

後には清三 ただ茫然と

思い起こせば 身のあやまりと

一人すごすご 支度を致し

さらばこの家も もう今日限り

名残り惜しやと 出ていきまする

それについても 幾多のお金

御恵み下さる 御恩の程は

たとえ死んでも 忘れはせんと

手をば合わせて 只伏し拝み

家に帰りて 暫しの合いも

忘れかねたる お吉の姿



中段

読んで残した 其の段続き

又もこれより 読み上げまする

好いて好かれた お吉に清三

思いがけなく 生木の枝を

さきし如くに 遠ざけられて

清三所在は 大阪町の

難波新地の 我家のかたで

思い切られぬ お吉が姿

いとし可愛いが 病となりて

食うもすすまず 痩せ衰えて

ついに焦がれて あい果てまする

お吉事とは 夢つゆ知らず

番頭清三は さぞ今頃は

どこにどうして 御わする事か

逢って詳しく 私が心

胸にありたけ 話を致し

優しいお言葉 聞きたいものと

思い続けて ついうつうつと

夢かうつつか 清三の姿

枕もとへと 現れなさる

お吉嬉しく ふと目を覚まし

辺り見回し 越え細やかに

逢いたかったっと 懐かしそうに

清三側へと 寄らんとすれば

不思議なるかな 清三が姿

消えて後なく 影さえ見えぬ

お吉驚き 胸内騒ぎ

心もと無き 清三が命

もしや此の世に 亡き人なるか

御霊この世に とどまりおいて

私が所へ 迷うて来たか

これはこうして おられぬ所

難波新地を 尋ねてゆきて

清三様子を 聞きいださんと

思案定めて お吉が今は

支度致して 我が家を忍び

後を振り向き 両手を合わせ

親をふり捨て 不幸の奴と

さぞや御腹も 立ちましょうけれど

操は守るが 女子の道と

許しなされて 下されませと

お詫び致して 気を取り直し

早く清三に 逢いたいものと

辿り着くのは 大阪町よ

在へ入れば 一筋道で

さても淋しき 村里なれば

聞けばかしこに 舟場がありて

何時も淀川 早舟御座る

舟じゃ危ない 陸地を行こうと

傘も気になる か弱き足で

心せけども 道はかどらぬ

牛の歩みの 千里の例え

今はお吉は 逢いたさままに

一人すごすご 道急がれて

急ぎほどなく 大阪町の

浪花新地と 相成りければ

さても嬉や 何処であろうと

ここかかしこと 尋ねる内に

女子子供が 来るのを見つけ

ここら辺りの 子供と見いる



下段

お吉声かけ もの問いまする

ここら辺りに 清三の館

あらば教えて 下さりませと

言えば子供は 指さしまして

あの家橋より 三軒目で御座る

横屋造りが 清三が家と

聞いて嬉しく 飛びたつ思い

やがて其の家へ 近づきまして

傘を手に持ち 小腰を屈め

御免なされと 戸口をあけて

清三館は こなたであるか

言うも恥ずかし ひとこえ細く

聞いて奥より 立ち出でまする

さても気の毒 清三が母で

数珠を片手に 目を泣きはらし

不信顔して お吉に向い

若い蝶々は どこからお出

問えばお吉は 恥ずかしながら

私ゃ京都の 糸屋の娘

清三さんとは 訳あるゆえに

遠い所を 尋ねて来たが

どうぞ逢いたい 逢わしてくれと

頼みますると 腰打ち掛ける

清三母さん 涙を流し

さても愛しや 御尋ねなるか

清三ことには 貴女の事を

思い尽くして 病となりて

ついにはかなく 相成りまして

今日が七日の 忌日で御座る

聞いてお吉は 物をも言わず

わっとばかりに 嘆くも道理

せっかく尋ねて 来たかいもなく

お果てなされて 逢う事ならず

さらば墓場へ 参らんものと

すぐに清三の 墓場へ来れば

墓にすがりて お吉はわっと

声を限りに 泣き悲しめば

人の思いは 恐ろしもので

清三墓所が 二つに割れて

元の姿で 現れまする

お吉ようこそ 尋ねてくれた

わしを思えば わが命日に

主がみずから 香花たてて

一辺なりとも 回向を頼む

私ゃ此の世を 去りたる様に

お前この世に ながらいおりて

親に孝行 よろしく頼む

言うて清三が 姿は消える

お吉驚き やれ悲しやと

泣けど口説けど そのかいもなく

私を思うて 御果てなれば

どんなに逢いたい かったでしょうよ

言うてお吉は 涙にくれて

お前ばかりを 一人じゃやらぬ

私も後より 追い付きますと

今はお吉は 狂気の如く

小石ひろうて 袂に入れて

蓮華の花咲く 菩提の池へ

南無と一声 身を踊らせて

池のもくずと なり果てまする

あの世でそいたい 二人の心

義理を操の 鏡となりて

聞くも哀れの 心中話

よその見る目も さて気の毒と

今に其の名も 此の世に残る

さても可愛や その物語

遠い遠い あの昔から

歌われ踊られ 今なをつづく

今も残りし 名物音頭


【愛本粽口説き】Top ▲

日本三橋 世にはやされた

越中愛本 そのはね橋も

時世変われば 黒鉄橋と

今は変わった その愛本に

昔ながらの 粽がござる

さても不思議な 粽の由来

申し上げるも はばかりながら

それは見もせぬ 昔の事よ

ところ愛本 その橋詰に

茶屋を渡世の 徳左衛門の夫婦

年も老いゆく 二人の中に

一人の娘の おみつがござる

お光年頃 器量が美人

諸国諸大名の 旅人達も

足をとめては 茶を召し上がる

近郷近在 若い衆達も

おみつおみつと 騒ぎはすれど

おみつ何時かな 顔さえ見せず

ある夜戸締まり 戸口を見れば

縁におかれた 二斗樽一つ

堅い口張り しめ縄張って

三日たっても 音沙汰なけりゃ

父親こっそり 口取ってみたら

ぷんと臭うた 極上酒に

我慢出来ずに あらかた呑んで

あまり旨いので 妻子に分けた

酔いはいいので ごろりと寝たが

宵いの疲れに 寝過ぎた夫婦

慌て戸開けりゃ 早日が高い

掃除するやら 朝飯出来た

おみつどうした まだ起きやせぬ

おみつおみつと 母御が呼べば

何の返事も 聞こえもせぬよ

そっと寝屋見りゃ も抜けの殻に

夫婦二人は 気も狂うばかり

おみつおみつと 近所はおろか

近郷近在 毎日捜す

尋ね捜せど 影さえ見えぬ

さてはあの酒 悪魔の酒か

誘う悪魔に かどわかされて

娘今頃 七裂八裂

可愛や食われて 骨もろともに

夫婦泣き泣き その日を仮に

菩提回向と 念仏ばかり

明日は娘の 早三年と

宵のうちから 燈明上げて

泣きの涙で おまいりすれば

開けて開けてと わしよぶ者は

確か覚えの 娘の声じゃ

もしや変化の 者ではないか

見れば確かに 娘のおみつ

なつかしいやら 嬉しいやらで

抱きこむように 戸を開け入れて

娘泣き泣き 言う事聞けば

私ゃあの晩 ある若者に

誘い連れられ 縁づいたほどに

今は身重で もう産月と

どうぞ産ませて 下さいませと

それにつけても 願いがござる

私ゃ産屋に 入ったるならば

見たり覗いたり して下さるな

言うて娘は 産屋に入る

されど可愛いや 娘の初産

見ずにいらりょか ほってもおけぬ

そっと寝屋見りゃ 大波小波

蛇の子を産んで 泳がせ回る

あっと叫んだ 母御の声に

娘おみつは 部屋よりい出て

見ない約束 見られたからに

何を隠そう 三年前に

私嫁いだ 愛本橋の

淵の主たる 大蛇でござる

さても正体 見られたからは

二度と再び 会われもしない

ここに持ちたる この粽こそ

いくらたっても 変わらぬ粽

委細教えて さらばと消える

橋は昔と 変わりはしたが

淵の面影 昔のままよ

茶屋の粽の その香りこそ

今に伝わる 愛本粽

からむ大蛇の その物語

伝え語るも やれ恐ろしや




【見真大師口説き】Top ▲

されば申すも おそれなるが

天津小屋根の 命の末に

氏は藤原 有頼郷の

御嫡男子に 松若君と

利功発明が 世にならびなき

輿や車で 世をましませば

君に仕えて 栄華を極め

雲に近づき 御身の上が

早く此の世の 無情と悟り

御年九才の 春三月に

玉の御殿を 立ち出で給い

粟田口なる 青連院の

滋鎮和尚の 身元に参り

明日と延さぬ この世の無情

咲いた桜も 今宵のうちに

夜半の嵐に 吹き落とされる

これを思えば 片時も早く

出家得度を して給われんと

言われて師匠も 理につまされて

夜の中ばに 得度をなさる

竹と等しき 緑の髪を

おそり給うぞ 御いたわしや

綾や錦を 脱ぎ捨て給え

墨の衣で 御身をやつし

さればこれから 仏道修行

音に名高い 比叡の山の

峰に登りて 菩提を求め

昼はひねもす 夜はよもすがら

月の光や 蛍を集め

お経読書に 御心やつし

どうぞ末世の 悪人女人

悟る御法を 学ばんものと

修行すれども 悟りは見えず

そこで御身に 思案を極め

とても末世の 悪人女人

こんなことでは 悟に行けぬ

ただで助かる 御法があれば

教え給えと 神々様に

願をかけれど その甲斐もなく

そこで泣く泣く 六角堂の

堂の板間に 御手をついて

願い上げます 観音様よ

どうぞ末世の 悪人女人

ただで助かる みのりがあれば

共に衆生と 手を引き合わせ

花の浄土へ 参らんものぞ

真の知識に 合わせて給え

毎夜毎夜の 歩みをなさる

百夜満ずる その暁に

不思議成るかや お告げを受ける

真に尊や 観音様よ

誠たえなる お声をあげて

真の知識に 会いたいならば

都吉水 圓光大師

それに参りて 悟を聞けと

至厳新たな その御託施に

されば比叡の 御山を下る

二十九才の その御年に

真の知識の みもとに参り

他力本願 真の誓い

上は等覚 弥勒をはじめ

下は在家の 悪人女人

知恵も力も 修行もいらぬ

己が自力の 計いやめて

弥陀に任せる 唯一念に

永く生死の 迷いをはなれ

君に忠義は まず第一に

親に孝行 忘れぬように

夫婦仲良く 兄弟仲も

人に不実は 致さぬように

国の大事と 家業に励み

御恩よろこび 只ひたすらに

弥陀の本願 誠の誓い

深く他力の 佛智を信じ

これを衆生に 教えんために

されば吾が祖師 見真大師

衆生済度の 方便なさる

ここに一つの 幸いごとは

九条関白 兼実郷の

一人娘に 玉日の宮と

歳は二十で 花なら蕾

智恵と慈悲とが 身に現れて

他郷に勝れし 天下の美女

それもその筈 御地をとえば

慈悲の功徳の 観音菩薩

父の関白 兼実郷は

深く他力を 信仰なさる

在家衆生の 身で有り乍ら

弥陀のお慈悲で 助かる事に

微麈いささか 間違いなくば

私に一人の 娘がござる

在家衆生を 導くために

時に吉水 上人様よ

あまた御弟子の あるその中に

一人養子に 仕われ給え

これが私の 一期の願い

そこで法然 上人様は

我が祖聖人 一間に呼んで

どうか在家を 済度のために

九条殿家に 養子に行けと

重き使命を 蒙り給う

在家衆生に その身をやつし

妻や子供の 手を引き乍ら

五障三章 さわりの身でも

弥陀を信ずる 唯一念に

無情涅槃の 悟に上る

他力修行の 大道開く

かかる尊き み教えなれば

上は万栄 雲井の君も

後生菩提は 南無阿弥陀仏

これに勝れし 教えはないと

信じ給うぞ 御いたわしや

下は賤しき 衆生の身でも

風に草木の なびくが如く

衆生済度の その御慈悲が

今じゃ御身の 不幸と転じ

それは如何なる 訳じゃととえば

諸寺や諸山の 自力の人が

他力不思議に 繁昌するを

ねたみそねんで 両上人を

土佐と越後に 御左遷なさる

やがて五年の 刑をばおりて

これが念仏 引通いのもとい

それもその筈 御地を問えば

四十八願 成就の如来

衆生済度に 御身をやつし

智慧の光を あたえし給い

そこで悪人 凡夫の者が

功徳功徳と 御名を名のり

凡夫仲間に 落ちぶれ給え

そこで和国の 聖徳太子

深く尊敬 まします給い

弥陀の化身と 賛嘆なさる

衆生化益に お出向き給う

如何にお慈悲の 身と言いながら

輿や車の 御身の上が

竹の小笠に 御杖ついて

蒲のはばきに 草鞋をしめて

日野左ヱ門 済度のために

積る白雪 褥となさる

石を枕に 艱難辛苦

総二十年の 住居をなさる

百姓豪族 家族と語り

南無阿弥陀仏と 唱えていけば

仏のお慈悲に あづかるのだと

命さづけて もらってる事の

有難さを 説いて知らせ

人間皆んなが 平等であると

見真大師 力説される

広い関東の 平野の角で

庶民の心に 救いをもたせ

南無阿弥陀仏の 念仏教え

時に見真 五十二の年に

浄土真宗が うち立てられる

唱えまいかや 南無阿弥陀仏




【石童丸口説き】Top ▲

さてもこれから 石童丸の

口説き語れば 皆様方よ

月にむら雲 花には嵐

加藤左衛門 繁氏様に

蛇がからんで 二匹となりて

障子に映りし 女の嫉妬

驚き給いし 繁氏様は

妻も側女も 振り捨て給い

高野のお山へ 登らせ給い

時の御台の 千里の姫が

身重なりしが 十月となりて

玉のようなる 男の子供

これぞ議題の 石童丸ぞ

流れ流れし 月日は早い

やがて石童が 十四の春に

親にこがれて 高野の父ぞ

逢いたい見たいの その一念で

母を伴い 手を取りあえば

慣れぬ旅路の 石童丸も

ついに高野の ふもとに来れば

明日はお山に 登らんものか

日頃夢見し 高野の父に

お顔見んとて 心が弾む

ここに哀なれ その物語り

聞いて驚き 二人の前に

宿の亭主は 両手をつかえ

申しあげます 旅人様よ

高野のお山の その掟には

弘法大師の 戒めありて

女人禁制の 定めが御座る

聞いて二人が 涙に沈む

これは何事 我子の袖に

情けないぞや 石童丸よ

母はお山へ かなわん時に

そなた一人で お山へ登れ

聞いて石童が 涙をこらえ

母にいとまを 告げさせ給い

登り疲れし 石童丸は

石を枕で その夜は明かし

父のありかを 尋ねて見れど

父かと思う 人にも会わん

やがて向うの 無明の橋に

苅萱道心 繁氏こそは

我子知らずに 寄り添い来る

見上げ見下ろす 親子の顔が

袖と袖とが 交わりたれど

親子名乗りは 修業の邪魔と

心誓いし 左衛門なれば

探すそなたの 父親こそは

今はこの世の 人ではないと

涙こらえて 我子を帰す

聞いて石童 只泣くばかり

哀れなるかや 高野を下る

やがて玉屋の お茶屋に来れば

母は空しく あの世の人に

前後忘れて あの母様よ

神も仏も 見離されしか

形見残りし 黒髪抱いて

天を仰いて 心に想う

母もなければ 父親とても

最早尋ねる 人さえない身

情け下さる 高野の人を

尋ね行くより 詮ないものと

またも石童は 高野の山へ

どうぞお弟子に して下さいと

一部始終を 涙で語る

それをきいたる 繁氏様よ

哀れ我妻 仏となれば

今は我子と 名乗らんまでも

口に言わねど 心の内に

師匠と弟子との 誓いをたてて

諸国修業の 親子となりて

命あるまで 我等がために

御化導下さる 念仏門が

今も残りし 高野の山に

親子地蔵さん その物語




【白井権八小紫口説き】Top ▲

ここに過ぎにし その物語り

国は中国 その名も高き

武家の家老に 一人の倅

白井権八 直則こそは

犬の喧嘩が 遺恨となりて

同じ家中の 本庄氏を

打ちて立退き 東をさして

下る道にて 桑名の渡し

僅かばかりの 船賃故に

多数船頭に 取囲まれて

既に危うき その折柄に

これを見兼ねて 一人の旅人

白井助けて 我家へ連れる

これは名に負う 東海道に

その名熊鷹 山賊なるが

それと権八 夢さら知らず

そのや家には 美人がござる

名をば亀菊 蕾の花よ

見れば見るほど おとなしやかで

その夜権八 寝間へと忍ぶ

そこで亀菊 言う事聞けば

此の屋主人は 盗賊なるぞ

知って泊まるか 知らずであるか

今宵お命 危のう御座る

わたしゃ三河の 富豪の娘

去年暮れから 此の屋に捕られ

永の月日を 涙で暮らす

故郷恋しや さぞ両親が

心配している 思いはすれば

お前見兼ねて お頼み申す

何卒情けじゃ 後生をじゃ程に

わしを連れ立ち 此の屋を逃げて

故郷三河へ 送りてくれと

口説き立てられ 権八こそは

そのや訳柄 残らず聞いて

さらば此の屋の 主人をはじめ

手下盗賊 皆切り殺し

お前故郷へ お連れをいたす

二人密かに 約束固め

娘亀菊 立ち出でゆくが

それと知らずに 熊鷹殿は

手下あたまに ささやきかける

今宵泊めたる 若侍の

腰に差したる 二振りこそは

黄金作りで 名作ものよ

二百両から 先ものゆえに

彼をあざむき 召し連れたるは

それを奪わん 心のたくみ

奥の座敷へ 寝かして置いた

最早時刻も 夜半の頃よ

奥の一間へ 切り込みすれば

兼ねて権八 心得なさる

見事白井は 抜く手も早く

あるじ熊鷹 手下の奴等

ついに残らず 皆切り殺す

そこで亀菊 手を引き連れて

生れ故郷の 三河に帰る

一部始終の 話をいたす

長者夫婦は 喜び勇み

どうぞ我が家の 婿にとせんと

すすめすれども 権八殿は

思う士官の 望みがあれば

長者夫婦に 断り言うて

暇致して 立たんとすれば

今は亀菊 詮方涙

ぜひも泣く泣く 金取り出して

心ばかりの はなむけなりと

いえば権八 気の毒そうに

こころざしをば 頂きなさる

花の東へ 急いで下る

行けば程なく 川崎宿よ

音に聞こえし 万年屋とて

ここにしばらく お休みなさる

さてもこれから 品川までの

道は何里と お尋ねすれば

道はわずかに 二里程なれど

鈴が森とて 難所がござる

夜ごと夜ごとの 仕切りがあれば

今宵当初へ お泊りあれと

言えど権八 耳にも入れず

大小差す身は それしきごとに

恐れなしては あまたの人に

臆病未練の 侍なりと

永く笑われ 恥辱の種よ

勇み進んで 品川めざす

さても先行く 権八殿と

同じ茶屋にて 休んでいたる

花の都の その名も高き

男伊達にて 幡随院長兵衛

白井出て行く 後見送りて

さすが侍 あっぱれ者よ

さらば若衆の 手並みを見んと

後に続いて 長兵衛殿は

鈴が森へと 早さしかかる

その夜場所にて 権八殿は

かねて覚悟と 山賊どもを

大勢相手に 火花を散らし

それを見るなり 幡随院長兵衛

さらば助太刀 致さんものと

正に仁王の 荒れたるごとく

切って回れば 山賊どもは

雲を霞と 逃げゆく後で

そこで長兵衛 白井に向い

お年若いが 似合わぬ手並み

恐れ入りたる 働きなるよ

わしも江戸にて 名を売る男

お世話いたさん 我が家へござれ

言えば権八 喜び入り

されば今より 兄弟分と

男長兵衛 匿いなさる

さても新七 助八共は

親を打たれて その仇討ちと

白井見つけて 討ち果たさんと

さても都の 花川戸にて

借家住まいで 二人の者は

花のお江戸を 毎日さがす

それと権八 早くも悟り

忍びねらって 二人の者を

何の苦もなく 殺してしまい

今は権八 安堵の思い

心浮き浮き 若気のいたり

花のお江戸の 新吉原に

音に聞こえし 花扇屋の

小紫には 心を寄せて

夜毎日毎に お通いなさる

そこで権八 素姓を聞けば

私ゃ三河の 長者が娘

今は長者も 落ちぶれ果てて

私ゃ悲しい 遊女に売られ

涙ながらに 勤めをいたす

あなた様とは 初会の席で

会った時から 心に残り

どこか見たような お人であろうと

思う心が 先へと通じ

幸い座敷も 早引きしたい

言って亀菊 床へと入る

床になったる その睦言に

さても互いに 顔見合わせて

思いついたる 以前の話

さては亀菊 権八さんか

一度別れて また逢うことは

先の代から 約束ごとよ

二世も三世も その先までも

変わるまいとの 互いの契り

それが悪事の 起こりとなりて

人を殺して 金取る事が

夜毎日毎に 度重なれば

毒を食らへば 皿までなりと

なおも募りて 中山道の

音に聞こえし 熊谷堤で

上州絹売り 弥兵衛を殺し

百両余りの 金子を取りて

なおも廓へ 忍びて通う

悪事千里で 権八身分

その上恵方は お尋ね者よ

ここに目黒の 虚無僧寺に

忍び入るとも 厳しい詮議

今は天地に 身の置きどころ

泣くも泣かれず 覚悟を極め

お奉行様へと お名乗り出て

哀れなるかや 権八こそは

鈴が森にて お仕置きとなる

さても幡随院 長兵衛こそは

白井権八 さらした首を

願い貰いて 目黒の寺へ

埋めて葬り 回向をなさる

そのや噂を 聞く小紫

人目忍んで 廓を出でて

ひるむ心は 目黒の寺の

白井権八 墓場の前で

乱れちらした その黒髪に

何と白無垢 死装束と

姿懐剣 咽喉へと当てて

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

落ちる涙は 千草の露よ

白井権八 小紫口説き

今の世までも 話に残る




【魚津蛇石口説き】Top ▲

さても一座の 皆様方よ

語り上げます その物語

加賀は百万 栄えた頃よ

所越中 魚津の在に

片貝河原の その又奥に

御殿御用の 材木積んだ

それが一夜に 流れて仕舞う

積んでも積んでも 流れて仕舞う

なぜにどうして 流れるのやら

不思議に思った 村人達が

見張り立てさせ 様子を見れば

急に雷 谷間に響き

水の中より 現れまする

さても恐ろし 大蛇の姿

嵐呼んでは 大雨降らす

積んだ材木 流してしまう

丁度その時 三太と言うて

信州渡りの 狩人おりて

それが不思議な 鉄砲持ちよ

金と銀との 訳ある玉で

妖怪変化も みな打ち砕く

そこで村人 三太に頼み

どうぞ大蛇を しとめてくれと

言えば三太が 引受なさる

そこで三太の 生立聞けば

国は信州 木曽山生れ

十二才の 幼い年に

父の後継ぎ 狩人なりて

辛い修行の 毎日送る

やがて二十五の その年なれば

一人前の 狩人なりて

村をはなれて 諸国を回り

とった獲物は 数さえしれず

狩の名人 三太となりて

今日は片貝 村人達の

願い聞いては 断りきれぬ

細い険しい 山坂道を

たどりついたる 刈又谷よ

待つ間しばしの 妖しいけはい

霧か煙か にわかに曇り

ためしすかして 漸く見れば

岩に巻きつく 大蛇の姿

三太慌てて 鉄砲を肩に

まとを定めて 引金しぼり

銀の玉をば 打込みなさる

たしか当った はずではあるが

なんの手応え ないどころかよ

大蛇怒って 鎌首もげた

赤い眼で 睨みをつける

三太めがけて おそいやかかる

三太震えて 足ふみしめて

狙いすまして 金色玉を

打てば木霊は 谷間に響き

しばしすかして 漸く見れば

大蛇射たれて のたうちまわる

岩に巻きつく 最後の姿

ぱっとその時 霧晴れまする

谷間眺めりゃ 五色の虹よ

虹の上には 竜神様が

形かわりて 天へと昇る

さても不思議や 蛇石口説

遠い昔の 祖先の人が

雨が降らねば 竜石叩き

村の旱魃 救ってまいる

今は蛇石 神社も出来て

蛇石神社の お祭りなれば

近郷近在の 村人達が

酒や魚を 両手に持ちて

雨乞い神にと 捧げて参る

毎年お盆の 季節になれば

片貝島尻 山女の村で

蝶六音頭に 歌われ続く

今も伝えし 名物音頭


【阿波の鳴門巡礼おつる口説き】Top ▲

ここに哀れな 巡礼口説き

国は何処よと 尋ねて聞けば

阿波の鳴門の 徳島町よ

主人忠義な 侍なるが

家の宝の 刀の詮議

何の不運か 無実の難儀

国を立ち退き 夫婦の願い

神や仏に 念願かけて

授け給えや あの国次の

刀商売 研ぎ屋の店は

心静めて 目配りなさる

行けば大阪 玉造にて

九尺二間の 借家をいたし

そこやかしこと 尋ねんものと

三つなる子を 我家に置いて

最早七年 婆さん育ち

子供ながらも かんがえ者で

年は十にて その名はお鶴

親の行方を 尋ねんものと

育てられたる その婆さんに

永の暇の 旅立ち願う

もしや婆さん あれ見やしゃせん

隣近所の 子供でさえも

髪を結うたり 抱かれて寝たり

それが私は 羨ましいの

今日は是非ない お暇いたし

諸国西国 巡礼いたし

背に笈摺 六字の名号

娘お鶴と 書きたる文字が

あせでにじんで その字が薄い

白の脚絆に 八つ路のわらじ

襟に布施鐘 掛けたる儘に

大慈大悲の 観音さまよ

何とぞ父様 あの母様に

逢いたさ見たさに 両手を合わせ

三十三番 残らず拝む

西も東も 分からぬ娘

年はようよう 十にもなるが

さても優しい 巡礼姿

哀れなるかや あの婆さんに

別れ行くのか 紀州を指して

霊場一番 あの那智山に

二番紀国 その紀三井寺

三に東国 粉河の寺よ

父と母との 恵みも深き

四番和泉の まきしの寺よ

五番河内に その名も高き

参り寄りくる その人々も

願いかけるは 不智伊の寺よ

花のうてなに 紫の雲

読んで終わりし その道筋を

行けば程なく 大阪町よ

音に聞こえし 玉造にて

門に立ちたる 巡礼娘

報謝願うと そう言う声も

神の恵みか 観音様の

お引き合わせか 前世の縁か

軒を並べし その家続き

我も我もと 皆出て見れば

さてもしおらし 巡礼娘

母のお弓は 我子と知らず

報謝進上と 側へと寄りて

見れば愛らし 巡礼娘

国は何処よと 尋ねて聞けば

私ゃ阿州の 徳島町よ

そして父さん あの母さんに

逢いたい見たいと この遠い道を

一人回国 するのでござる

聞いてお弓は はや気に掛かり

一人旅とは どうした訳よ

そこでお鶴が 申する事に

訳は知らぬが 三つの年に

私を婆さんに 預けて置いて

何処へ行ったか 行方が知れず

言えばお弓の 申する事は

お名は何とじゃ 聞かせておくれ

私が父さん 十郎兵衛と言うて

母はお弓と 言う名でござる

聞いてびっくり お弓が心

胸はせき上げ 涙を流し

側に摺寄り お鶴の顔を

穴のあく程 しみじみ眺め

覚えあるのが 額の黒子

年も行かぬに はるばる此処へ

尋ね来たのを その親達は

さぞや見たなら 嬉しくあろう

ままにならぬが 浮世の習い

親に備わり 子と生まれても

名乗る事さえ ならぬが浮世

そなたの様に 尋ねたとても

顔も所も 知れない親を

もしや尋ねて 逢われぬ時は

何の詮なき ことではないか

さてもこれから 心を直し

帰らしゃせんや 婆さんのところへ

言えばお鶴が その挨拶に

私ゃ恋しい あの母様に

たとえ何時まで 尋ねてなりと

父と母とに 逢いたさ故に

どんな苦労も いといはせぬが

幸いことには 一人の旅よ

どこの家でも 泊めてはくれず

人の軒端や 野山に寝ては

人に叱られ ぶたるるばかり

ほんに悲しや 危なや怖や

他所の子供や 姉さん達を

見るに付けても 羨ましいよ

私が父さん あの母さんは

どこの何処に 居やしゃんすのか

早う尋ねて 逢いたいものよ

言えばお弓は 涙にくれて

我を忘れて はや抱き上げる

はっとばかりに さて胸騒ぎ

母のお弓は 名乗りも出来ず

娘はお鶴 抱かれて聞けば

もしやおばさん 何故泣かしゃんす

余りそのように お嘆きあれば

私ゃあなたが 母さんの様で

帰りたくない 行きたくないよ

どんな事でも 致しましょうが

置いて下され あなたの側へ

言えばお弓は 涙にくれて

帰したくない 遣りたくないと

思う心は やまやまなれど

ここに置いては お為にならぬ

ここの道理を よく聞き分けて

帰らしゃんせと お鶴に言えば

子供ながらに 涙を流し

両手合わせて うなづきなさる

是非も泣く泣く 帰ろうとすれば

母のお弓は 我針箱の

金子取り出し 我が子に向い

紙に包んで 袖へと入れる

金は小判も 小粒もござる

言うてお弓は こりゃ志

無理に持たせて 髪なで上げる

もしやおばさん 暇じゃ程に

さらばこれから 帰りましょうと

胸に掛けたる 鐘をば叩く

出でて行くのを 見送りながら

言うに言われぬ 悲しやほどに

しばしお弓が 心の思案

いっそ親子と 名乗ったならば

さぞや嬉しく 思うであろう

ここで別れて さて何時の日か

逢えるかわからぬ 身の上なれば

連れて戻りて 名乗りをせんと

髪を乱して 帯引き締めて

後を慕うて 行くその内に

それと知れずに 十郎兵衛は

悪人ひきつれて まちぶせなさる

金の工面に 子供をだまし

急ぎ足にて 我家へ入り

さても無情や 巡礼殺し

肌に手を入れ 取り出し見れば

金と一緒に ある書付を

見れば刀の ありかも知れる

女房お弓は 早走け戻り

死骸抱き上げ 途方に暮れる

しばし心も 泣きいる母は

お弓お鶴と 名乗りはせずに

阿波の鳴門の 深みへしずめ

涙流して ゆるしてくれと

それを見ていた 十郎兵衛は

しばし手をつき 途方に暮れる

さらばこれから お国へ帰り

罪を逃れし 恥辱をすすぎ

元のお武家に 取り立てなさる

さても可愛や 巡礼の口説き

今も残りし 名物音頭





【親鸞聖人御難儀苦業口説き】Top ▲

さても都に その名も高き

藤原氏なる 御子にあれど

もとが阿弥陀の 御化身なれば

乳母とお遊び なされし時に

土を寄せては 仏を造り

西に向って 南無阿弥陀仏

ついに九歳の 其の春なるが

緑の黒髪 そり落とされて

滋鎮和尚の 御弟子となりて

比叡の山にて 御修行ありて

慈悲の心を 起こさせ給い

自力かなわぬ 凡夫のために

あまたお弟子の 目を忍ばれて

六角堂なる 観音様へ

衆生済度の 近道あらば

教え給えと 百夜の間

三里余りの きららの坂を

雪の降るのも お厭いなくて

徒や素足で お通いなさる

其れを妬んで あまたのお弟子

滋鎮和尚に 悪口告げる

そこで法然 御招きあれば

はいと答えて その場へ出でて

そばを一膳 お上がりなさる

ある夜観音 御告げによりて

黒谷お寺の 法然様の

弟子となられて 御法を聞いて

信と行とを 二つに分けて

他力不思議の 御化導あれば

そこで天子の 后様の

松虫鈴虫 二人のお方

一座の教化に 基づきなされ

無理にお弟子に お願いなさる

尼になされて 其の罪科しめで

女人安楽 死罪になされ

土佐の国へは 法然様を

我祖聖人 越後の国へ

流罪なりとも 御勅故に

蒲の脛巾に 草鞋を履いて

お弟子二人を 召連れられる

菅のお笠で 立退きあれば

別れ悲しむ 時雨の桜

鬼の出でたる 越後の国の

小谷明神 国分寺にて

逗留なされて 御化導のうちに

流罪御免の 勅使の役に

岡崎中納言 お下りあれど

あまた凡夫が 不憫さ故に

馴れし都へ お帰りなくて

衆生済度に お廻りなさる

富屋の村にて 御化導あれば

我も我もと ざんげを致す

弥陀の誓願 他力の御法

教え聞かせて 末世に残し

数珠掛け桜も 如来の不思議

田上村には つなぎの茅よ

安田村には 三度の栗よ

山田村には 焼き鮒残し

頃は五月の 中ばであるが

雨は五月雨 しきりに降りて

日暮れなる宵い 柿崎村で

一夜宿をば お願いあれば

慳貪邪見の 扇谷よいに

泊めるどころか 追い出される

門の軒下 しとねと致し

石を枕に 御難儀なさる

神の知らせで 向かいに出でる

他力不思議に 発起を致す

六字の名号 父親にくれて

其の夜立ち退き 御急ぎなれば

後を追いかけ 扇谷女房

河をへだてて お願い申す

六字の名号 戴きまする

御念御化導の 御難儀ありて

越後立ち退き 関東登り

下野下総 常陸に到り

稲田村にて 草庵建てて

衆生済度に お歩きなさる

ある日にわかに 吹雪になりて

わずか三里の 半場であれど

行きも帰りも 出来ないゆえに

一夜の宿をば 御願いあれど

邪見盛りの 日野左衛門は

怒り叫んで 追い出だされて

これが浄土の 正客となり

見捨てられぬと 御門の外で

雪の降るのも お厭いなくて

石を枕に お休みあれば

六字の御利益 現れまして

夫婦驚き 御迎え申す

一座御教化 戴くよりも

髪を落として 御弟子となりて

ごあんじついと 御供を致す

又もお弟子を 召し連れられて

衆生済度に 板敷山を

南無阿弥陀仏で 行き来をなさる

諸寺や諸山の 自力の人が

他力不思議に 繁昌するを

妬みそねんで 悪心起こし

ごろう庵にて 手向かいすれど

祖師の御徳に 驚きまして

貝も錫杖も 打ち捨てられる

あまた山伏 お弟子となりて

墨の衣で 御供を致す

ながの御苦労 御難儀ゆえに

ついに報われ 御勅の我等

妻子あしらい 畳の上で

頼むばかりで 助かる法は

弥陀の願力 不思議であると

寝ても起きても 念仏申し

祖師の御恩を 忘れぬように

上のおきてを よく守られて

この世目出度し 未来は浄土

唱えまいかや 只南無阿弥陀仏





【新お吉・清三口説き】Top ▲

ここに哀れな 心中ばなし

国は京都に その名も高き

糸屋与右衛門 有徳な暮らし

店も賑やか 繁盛でござる

一人娘に お吉と言うて

年は十六 今咲く花よ

店の番頭に 清三と言うて

年は二十二で 男の盛り

器量好ければ お吉が見染め

通う通うが 度重なれば

親の耳にも そろそろ入り

それを聞いては ままにはならぬ

そこでお吉を 一間へ呼んで

店の清三と 訳あるそうな

思い切る気か 切らぬかお吉

これさ母さん 何言わしゃんす

妾と清三と その仲々は

墨と紙との 染みたが仲よ

何が何でも 離れはしまい

奥の一間へ 清三呼んで

そなた呼んだは 別義じゃないが

うちの娘と よい気をはらし

それを聞いては 置かれはしない

仕舞うて行かんせ 今日限り

自体清三は 大阪生れ

ものも言わずに 只はいはいと

家へ帰りて 四、五日たてば

お吉思うて 病気となりて

是非もかなわぬ 相果てまする

お吉うすうす 眠りしとこへ

夢か現か 清三の姿

枕元へと 現れまする

そこでお吉は ふと目を覚まし

見れば清三が 姿は見えず

さらばこれから 清三が方へ

親の手元を 忍んで行けば

在に入れば 船場がござる

船に乗らんで 陸路を行けば

急ぐ程なく 大阪町よ

清三館は いずこと聞けば

橋は元より 三軒目でござる

清三館の 前にとくれば

笠を片手に 腰をばかがめ

ご免なされと 腰打ち掛けて

清三館は ここかと聞けば

ものの哀れや 清三の母は

数珠を片手に 只泣くばかり

若い蝶々さんは 何処からござる

私や京都の 糸屋の娘

清三さんには 訳ある故に

遠い処を 尋ねて来たよ

どうぞ清三に 逢わせておくれ

そちが尋ねる 清三は果てて

今日は清三の 七日でござる

聞いてお吉は 只泣くばかり

さらばこれから 墓所へ参り

頭のかんざし お花といたし

砂をつかんで 焼香となさる

立てた塔婆に すがりて泣けば

人の思いは 恐ろしものよ

清三墓所は 二つに割れて

そこへ清三が 現れまする

そこへ来たのは お吉じゃないか

遠い処を よく来てくれた

お吉泣くなよ 泣きたいとても

どうせこの世で 添われはしまい

わしを思えば 香華を立てて

来る命日に 回向を頼む

言うて清三の 姿は消える

これよ待たしゃれ これ待たしゃんせ

そなたばかりは 一人でやらん

妾も一緒に 行かねばならぬ

寺の大門 四、五町離れ

小石拾うて 袂へ入れて

前のお堀へ 身を捨てまする

さても哀れや 心中や話

遠い昔の 祖先の人も

蝶六音頭に 歌われ踊る

今に伝えし 名物音頭





【鈴木主水白糸口説き】Top ▲

花のお江戸の その側らに

世にも珍し 心中や話

処ろ四ツ谷の 新宿町に

紺ののれんに 桔梗の紋は

音に聞こえし 橋本屋として

あまた女郎衆の 白糸こそは

年は十九で 当世が育ち

愛嬌よければ 皆人さまが

我も我もと 名指して上がる

別けてお客は どなたと聞けば

春は花咲く 青山辺の

鈴木主水と 言う侍は

女房持ちにて 二人の子供

五つ三つの いたずら盛り

二人子供の あるその中に

今日も明日もと 女郎買いばかり

見るに見かねて 女房のお安

ある日我夫 主水に向かい

私ゃ女房で 妬くのじゃないが

二人の子供は 伊達には持たぬ

十九二十才の 身じゃあるまい

人に意見を する年頃で

やめておくれよ 女郎買いばかり

金のなる木は 持ちなさるまい

どうせ切れるの 六段目には

連れて逃げるか 心中するか

二つ一つの 思案と見える

しかし二人の 子供が不憫

二人子供と わたしの身をば

末はどうする 主水様よ

言えば主水は 腹立ち顔で

何とこしゃくな 女房の意見

己が心で 止まないものを

女房ぐらいの 意見じゃ止まぬ

女房意見より 女郎衆が可愛い

それがいやけりゃ 子供を連れて

そちのお里へ 出て行きなされ

愛想づかしの 主水様よ

そこで主水は こやけになりて

出でて行くのが 女郎買い姿

後でお安は 聞くくやしさに

何と男の 我がままじゃとて

死んで見せよと 覚悟はすれど

五つ三つの 子に引きさかれ

死ぬに死ねぬと 嘆いて居れば

五つになる子が 側へと寄りて

是れさ母さん 何故泣かしゃんす

気色悪いけりゃ お薬あがれ

何処ぞ痛くば さすてたげよ

いえばお安は 顔振り上げて

何処も痛くて 泣くのじゃ無いが

幼けれども よく聞け坊や

余り父様 身持ちが悪い

意見いたせば こしゃくな奴と

たもとつかんで ちょうちゃくなさる

扨も残念 夫の心

自害しよかと 覚悟はすれど

後に残りし 子供が不憫

どうせ女房の 意見じゃ止まぬ

さればこれから 新宿町の

女郎衆頼んで 意見をしようと

三つなる子を 背中に背負うて

五つなる子の 手を引きながら

出て行くのが さぞ哀れなる

行けば程なく 新宿町よ

店ののれんに 橋本屋とて

それと見るより 小職を招き

私はこちらの 白糸さんに

どうぞ会いたい 会わせておくれ

はいと小職は 二階とあがり

これさ姉さん 白井さんよ

何処の女中か 知らない方が

何かお前に 用あるそうな

会うてやらんせ 白糸さんよ

言えば白糸 二階を降りる

私を尋ねる 女中というば

お前さんかえ 何用で御座る

言えばお安は 初めて会いて

鈴木主水は 我が夫お安

お前見込んで 頼みが御座る

主水身分は 勤めの身分

日々の勤めも 疎かすれば

末はお扶持に 離るる程に

そこの道理を よく聞き分けて

どうぞ我夫 主水殿に

一つ意見を して下さんせ

せめて此子が 十歳にもなれば

昼夜揚げ詰め なさりょうと儘よ

または私が 去られた後で

お前女房に ならんとしても

何卒その時 おすきになされ

どうか意見を して下さいと

聞いて白糸 初めて知りて

私は勤めの 身の上ならば

女房持ちとは 夢さら知らず

ほんに知らない 事とはなれど

さぞや悪かろう お腹が立とう

私もこれから 主水様に

意見しましょう お帰りなされ

言うて白糸 二階に上がる

後で二人の 子供を連れて

お安我家へ お帰りなさる

ついに白糸 主水に向い

お前女房は 子供を連れて

泣いて頼みに 来ました程に

今日はお帰り 留めては済まん

言えば主水は にっこり笑い

置いておくれよ お久しぶりだ

遂にその日は いつづけなさる

待てど暮らせど 帰りもしない

お安子供を 相手に致し

最早その日は はや明けなれば

支配方より お使いありて

主水身持ちが 不埒な故に

扶持や何でも 召し上げられる

後でお安は 途方に暮れて

後に残りし 子供が不憫

思案しかねて 当惑いたし

扶持に離れて 長屋へもどり

馬鹿なたわけと 言われるよりも

武士の女房じゃ 自害をしようと

二人子供を 寝かせて置いて

硯取り出し 墨すりながら

落ちる涙が 硯の水よ

涙止めては 書置きいたし

白き木綿で 我身を巻いて

二人子供の 寝たのを見れば

可愛可愛で 児に引かされて

思い切り刃を 逆手に持ち手

ぐっと自害の 刃のその下に

二人子供は 早めが覚めて

三つなる子は 乳にとすがり

五つなる子は 背中にすがり

これさ母さん のう母さんと

幼心で はや泣きじゃくり

主水それとは 夢にも知らず

女郎屋立ち出で ほろほろ酔いで

女房じらしの 小唄で帰り

表口より 今戻ったと

子供二人は 泣き出しながら

もしや父様 お帰りなるか

何故か母さん 今日限り

物も言わずに 一日寝よる

ほんに今迄 悪戯したが

なぜか反かぬ のう父様よ

何卒詫びて くだされましと

聞いて主水は 驚きなさる

合の唐紙 さらりと明けて

見ればお安は 血汐に染まり

俺が心の 悪いが故に

自害したかよ 不憫な事よ

涙ながらに 二人が子供

膝に抱き上げ 可愛や程に

何も知るまい よく聞け坊や

母は此世の いとまじゃ程に

言えば子供は 死骸へすがり

もしや母さん 何故死にました

我ら二人は どうしましょうと

嘆く子供を 振り捨て置いて

檀那寺へと お急ぎなさる

戒名もろうて 我家へ帰り

哀れなるかや 女房の死骸

こもに包んで 背中に負うて

三つなる子を 前にとかかえ

五つなる子の 手を引きながら

行けばお寺で 葬りますと

是非も泣く泣く 我家へ帰り

女房お安の 書置き見れば

あまり勤めの 放埒故に

扶持も何も 取り上げられる

扨も主水は 仰天いたし

子供泣くのを そのまま置いて

急ぎ行くのは 白糸方へ

扨はお出か 主水様よ

来たが今宵は お帰りなされ

言えば主水は なみだを流し

襟にかけたる 戒名出して

見せりゃ白糸 手に取り上げて

私が心の 悪いが故に

お安さんには 自害をさせた

去ればこれより 三途の川を

お安さんこそ 手を曳きますと

言えば主水は しばしと止めて

私とお前と 心中しては

お安様へは 言い訳立たぬ

お前死なずに 永らえしゃんせ

二人子供を 成人させて

よろしく頼むよ 主水様よ

言うて白糸 一間へ入り

数多朋輩 女郎衆を招き

譲り物とて 笄遣やれば

されば小春は 不思議に思い

これ姉さん どうした訳よ

今日を限りて 譲りを出して

それにお顔も 勝れもしない

言えば白糸 よく聞け小春

私は幼き 七つの年に

人に売られて 今此廓に

辛い幼き 七つの年に

勤めましたよ 主水様に

日頃年頃 懇親したが

今度わし故 御扶持も離れ

又は女房の 自害をなさる

それに私が 生成居れば

お職女郎の 意気地が立たぬ

死んで意気地を 立たねばならぬ

早くそなたも 身壗になりて

私が為にと 香華を頼む

言うて白糸 一間へ入り

心の内にて 唯一言と

涙ながらに のうお安さん

私故にと 命を捨てた

さぞやお前は 無念であろう

死出の山路も 三途の川も

共に私が 手を曳きましょうと

南無という声 此世の別れ

数多朋輩 皆立ち寄りて

人に情けの 白糸さんが

主水さん故 命を捨てる

残り惜し気に 朋輩達が

別れ悲しみ 嘆くも道理

今は主水も 詮方なさに

忍び密かに 我家へ帰り

子供二人に 譲りを置いて

直ぐにそのまま 一間へ入り

重ね重ねの 身の誤りに

我と我身の 一生す捨てる

子供二人は 取残されて

西も東も わきまえ知らぬ

幼心は 哀れなものと

数多心中も あるとは言えど

義理を立てたり 意気地を立てて

心合いたる 三人共に

聞くも哀れな 話で御座る





【魚津小町おしげの恋】Top ▲

頃は八月 日は十五日

お墓参りで 和尚様見め染め

見染め合い染め 念かけ染める

文を渡そうと 苦労の末に

鹿の巻き筆 五色の紙に

おしげ想いを 残らず書いて

書いて包んで 状箱に入れる

文の使いを 番頭に頼む

さあさお願い 円乗寺様へ

夜のこととて 大門しまり

声をはり上げ 和尚様よんで

用事ありげに 状箱渡す

待てど暮らせど 返事がないぞ

我慢しかねて 恋するおしげ

逢いたい見たいの その一念が

暗い夜道の 霧草分けて

夏のことなら 雨戸もたたん

あいの唐紙 さらりと開ける

和尚和尚と 二声三声

和尚聞きつけ 枕を上げて

夜中めがけて 起こすは誰じゃ

迷いでもない 変化でもない

文を渡いた おしげでござる

和尚ようきけ ようきかしゃんせ

文の書き数 七十や五文

書いて渡せど 返事もないが

返事ないので 我慢がならん

高い山にも 届かぬつつじ

咲いて乱れる ことさえあるぞ

川原柳は 何見てなびく

水のでばなで ひそひそなびく

私ゃ和尚の 心になびく

通うて落ちねば 迷うておとす

そこで和尚の 申することにゃ

おしげよう聞け よう聞かしゃんせ

七つ八つで 小僧となりて

和尚よ和尚よと 呼ばれるまでに

如何に苦労や 重ねしものか

おしげお前と 色恋なれば

長い苦労も 終わりとなりて

寺を追われる あげくの果てに

無見地獄に おちるがいやじゃ

お前と添う気は 更更ないよ

そこでおしげの 申することに

たとえ地獄に 沈もうとままよ

かけた念力 おとさにゃおかん

どうぞそこの世で 添われぬならば

裏の川へと 身を投げ捨てて

三十五尋の 変化となりて

お前おとさにゃ 心が済まん

どうぞ私と 夫婦のちぎり

両手合わせて 頭を下げる

今は和尚も 詮方なしに

うその言葉で おしげを返す

後で手早く 荷物をまとめ

人に隠れて 夜の間に逃げる

寺を離れて 七日の後に

和尚逃げたる うわさがたちて

おしげ狂乱 心も乱れ

天を仰いで 大地をたたき

声を哀れに 唯泣くばかり

和尚 入水なさる

人の一生は はかないものか

諸行無常と 鐘の音淋し

おしげ悲恋の 其の物語り

語り伝えて 蝶六音頭

聞いて下さい 皆様方よ





【佐倉宗吾一代口説き】Top ▲

是は過ぎにし その物語

国は下総 因幡の郡

佐倉領にて 岩橋村よ

名主総代 宗吾と言うて

心正直 利発な者よ

事の由来を 尋ねて聞けば

国の役人 おごりに長子

年貢取りたて 厳しくなさる

下の困窮 目もあてられず

今は暮しも 出来がたなれば

国の村々 相談極め

年貢加役の 御免を願い

去れど役人 よこしまなれば

背く輩は お仕置きなりと

尚もきびしき 取立てなれば

百姓残らず 思案にくれて

組合隣村 始めといたし

二百二十の その村々へ

廻状回して 相談なせば

佐倉宗吾を 始めとなして

名主総代 残らず合せ

江戸の屋敷へ 願いをあげる

又も今度も 取り上げられず

宗吾心で 思案を定め

諸人一同 身の苦しみを

我身一人の 命にかえて

いっそお上へ 願わんものと

国の妻子に よくよく頼み

暮の二十日の 御成の場所は

花の上野の 三枚橋の

下に忍んで 待ちうけまする

そのや折りから 将軍様は

御成相済み 官許となりて

橋のたもとへ お籠はかかる

兼て用意の 宗吾やこそは

竹の端へと 願書を挟み

橋の下より 立ち出でながら

恐れ多くも お籠の中へ

願書差し入れ 平伏いたす

それを見るより 御供の衆は

直に宗吾に 早縄かけて

奉行所へと 御渡しなさる

されば佐倉の 後領主様は

憎い宗吾が 将軍様へ

直接願いを あげたる故に

直に上より 言い渡されて

年貢加役も 御免となれば

国にのこりし 百姓達は

心落ち着き 安心いたし

下の騒ぎは 静まりたれど

これに哀れは 佐倉の宗吾

上へ直訴を なしたる罪で

国へ引かれて 獄牢の住い

殿の憎しみ 昼夜の責に

今は裁きも きわまりまして

親子六人 仕置きの場所へ

力なくなく 引きいだされる

宗吾夫婦の 見るその前で

子供並べて 成敗いたす

修羅の太鼓が 合図の地獄

下にも地獄の 牛頭馬頭なるが

未だ二つの 三之助からよ

首を切らんと 太刀振りあげる

これを見て居る 母親こそは

心身もこの世も あわれな思い

我身夫婦は 責苦に逢って

如何に苦しみ いたせばとても

いとしあの子は 残忍たらしや

おさな子供に なぜ科ありて

殺し給うか 無惨の人よ

鬼か天魔の 仕業であるか

ものの報いは あるものなるぞ

思いは知らさる 覚悟をせよと

はっと吐く息 火焔の如く

嘆き苦しむ はやその内に

あとは五ツの 喜八を始め

なかは九ツ 源助云うて

総領十一 総助までも

情容赦も 荒みの刀

子供四人は 両挙を合せ

これや父さん あの母さんよ

先へ逝くから 後より早く

急ぎ給へと 気勝の言葉

南無という声 此の世のいとま

首は夫婦の 前へと落ちる

これに続いて 夫婦の者を

台にかけ置き 大身の槍で

哀れ無残や 成敗いたす

数多諸人の その見物が

ワッと聲たて 皆一同に

嘆き泣き立つ 聲凄まじく

天に響いて あら恐ろしや

身の毛粟立ち 見る人々も

共に心も 消え入るばかり

去れば其後 夫婦の者は

凝りし一念 此世に残り

其夜霊魂 現れ出て

殿の館の あの御庭先

雪見燈籠の 木陰に立ちて

細き聲さえ 一入かれて

殿の御為に 御国を思い

苦労苦間の 年月積もり

恐れ乍らも 将軍様へ

直の御願い いたせし罪よ

是も非道の 役人方の

上を欺く 偽りなれば

なおも恨みの 数重なりて

ここに現れな 恨みを晴らす

聞いて殿様 家老を始め

国の百姓 皆一同に

宗吾魂魄 神にと崇め

思い晴らして 豊作守る

今に佐倉の 鎮守の祀り

後の世迄も 大明神と

国の守りと みな奉る

さてもかわいや その物語

蝶六音頭に 今なを残る

佐倉宗吾に 一代口説き


【西院の河原地蔵口説き】Top ▲
ここに一つの 話が御座る

これは此の世の 事ではないが

死出の山路や 裾野の里に

西院の河原の その物語

聞くにつけても 二つや三っつ

四っつや五っつや 十にも足らぬ

此の世に不用と やみからやみへ

水子無情や 南無阿弥陀仏

集まりきたるは 父母恋し

嘆きさけべど あの世の声と

悲しき骨身に しみ入りまする

そこで嬰子の しぐさを見れば

河原の石をば 大小集め

そこで回向の 塔をばつくり

一つ積んでは 父上様に

二つ積んでは 母上様に

三つ積んでは 兄弟我身

あそんでおれども やがては無情

日暮れ時には 地獄の鬼が

金棒ふり上げ 汝等共に

父母は元気で 暮らして居るに

追善供養の つとめもなくて

毎日明けくれ 暮しを送り

なげき可愛いや 不びんや惨め

親のなげきは 汝等共が

苦難を受ける 種にと成るぞ

我を恨むは すじ道ちがい

金の延棒で 積みたる塔を

打ってくずすや 又積め積めと

おさな心に 無情でござる

あまり悲しき 仕打ちでござる

伏して拝むか 可愛やほどに

一度でいいから 抱かれて見たい

母の乳房に すがあって見たい

泣いてかなしや 幼き声に

またも地獄の 鬼あらわれて

鬼はいいつつ 消えうせまする

峰の嵐で 地ひびきすれば

父が来たかと 山へと登り

谷の流れを ほう手下り

あたり眺めりゃ いずこか母は

姿求めて 東や西に

ほう手回って 木の根や石に

一つ積んでは 父上様に

二つ積んでは 母上様に

打身すりきず 血潮がにじむ

泣くなねむるな 罪なき童子

無情地獄の 季節の風で

みな一同の 夜明けの時よ

ここやかしこに 泣く声きけば

河原地蔵が お出ましなさる

何をなげくか おさな子達よ

命みじかく 冥土のたびに

来る汝ら 地蔵の慈悲で

父母は娑婆にて 明けくれすれど

娑婆と冥土は 遠くて近い

我を冥土の 父母じゃと思て

明け暮れ致せよ 幼き童子

衣の内えと かき入れなさる

今だ歩めぬ おさな子達に

慈悲の心で 錫状の柄に

いだかせ給えや 無情の大地

乳房あたえて 泣く泣く寝入る

例えがたなき あわれな事よ

袈裟や衣に しみ入りまする

助け給えや ふびんな童子

南無や大悲の 河原の地蔵

唱えまいかや 南無阿弥陀仏







【祈願口説き】Top ▲

魚津荒町 糸屋の娘

姉と妹に むらさき着せて

どちらが姉やら さて妹やら

姉が朝顔 妹が牡丹

妹ほしさに 御りょ願かけて

一に京都の 大日如来

二に新潟の 白山様よ

三に讃岐の 金比羅様よ

四に信濃の 善光寺様よ

五つ出雲の 緑神様よ

六つ村中が お日様よ

七つ成田の 不動様よ

八つ八幡の 八幡様よ

九つ高野の 弘法大師

十で所の 氏神様よ

これだけかけたる 願かけなれど

とても叶わぬ その時にはと

背戸の泉水 身を投げ捨てて

三十五ひろの 大蛇となりて

鱗逆立ち 角振りまわし

姉が妹を 皆取りつくろた





【出戻り口説き】Top ▲

娘十七、八ゃ 嫁入り盛り

たんす長持ち あのはさみ箱

これほど持たせて あの遣るからは

二度と再び 戻るじゃないと

言えば娘は 物言いかける

これさ旦那さん 何いわしゃんす

物の喩えで 申そうでならば

東ゃ曇れば あの空とやら

西が曇れば あの風とやら

南ゃ曇れば あの雨とやら

北が曇れば あの雪とやら

千石積んだる あの船でさえ

港出る時 まともであるが

まして私は 花嫁じゃもの

ご縁なければ 戻るもします





【器量の良い娘】Top ▲
家の娘は 良い器量の娘

背戸の小川で 青菜を洗う

そこへ旦那が 馬のり通り

この娘良い娘じゃ よい器量の娘よ

もちょっとでかけりゃ 妻にもするが

なりが小さいとて 妻にも出来ず

そこで娘さんの 言う事聞けば

お前さ旦那さん 何云わしゃんす

物のたとえで 申そうでならば

山の中にも 大山小山

山が小さいとて かつがりやせまい

石の中にも 大石小石

石が小さいとて 歯がたつものか

川の中にも 大川小川

川が小さいとて 手じゃ止められぬ

針の中にも 大針小針

針が小さいとて 呑まれもせまい

橋の中にも 大橋小橋

橋が小さいとて 人通りやでかい

鳥の中にも 大鳥小鳥

鳥が小さいとて 天立ち登る

そこで旦那が 理屈に困りや

立てりや芍薬 座れば牡丹

五月野に咲く 姫百合の花

御縁あるなら 又会いましょう





【頼りづくし】Top ▲

一つひよどり 木のまたたより

二つ舟のり あいの風たより

三つめくらさん 杖の先たより

四つ夜ばいの時や 真の闇たより

五つ医者どんは 薬箱たより

六つ婿にゆきや 向こうの姉たより

七つなまくら坊主 南無陀がたより

八つ山伏や 法螺の貝がたより

九つ虚無僧は 尺八たより

十で豆腐屋は 豆の安いがたより





【好きづくし】Top ▲

一つ好き同志 一緒になれば

二つ夫婦仲 本当によくて

三つ目出度や 繁盛の種よ

四つ他所の衆が 羨む様な

五つ何時見ても 朗らかな家に

六つ村中で 評判よくて

七つ怠くら 無いうえに

八つ優しく 情もあれば

九つ此の家に 福の神ござる

十でとっても 御目出度い 御目出度い





【豆づくし】Top ▲

一つ人の豆 あたられん豆

二つ踏んだ豆 へんつぶれた豆

三つ味噌の豆 味のついた豆

四つよった豆 屑のない豆

五ついった豆 はごのわれた豆

六つむいた豆 つやのでた豆

七つなった豆 さやの付いた豆

八つ焼いた豆 灰の付いた豆

九つ買うた豆 銭の出た豆

十でとくな豆 家のかあちゃんの豆





【かかづくし】Top ▲

一つ他人のかか けなるてもだめ

二つふざけたかか こずらわしゃにくい

三つみよいかか 音頭取りやほしい

四つ夜中に 責めるかかいや

五つ意地なかか 立ちひざ上げる

六つもずなかか はんぎゃすてならん

七つ何時でも くらいこんで

へいこいて 寝とるような

哀れな べしょうなかかいや

八つ後家のかか 寂すて寝られん

九つ小柄なかか つまつまとみよい

十でとくなかかは 仕事のするのが

ままの食べんがの もすろの織るのが

喉のもかんがの 小便のこくがの

夜なべのするがじゃ



【上手づくし】Top ▲

一つ開木の 踊り子が上手

二つ袋の 踊り子が上手

三つ宮津の 踊り子が上手

四つ吉野の 踊り子が上手

五つ石垣の 踊り子が上手

六つ村木の 踊り子が上手

七つ長引野の 踊り子が上手

八つ山の衆の 踊り子が上手

九つ子供衆の 踊り子が上手

十で友道の 踊り子が上手



【旨いづくし】Top ▲

一つ西瓜の 冷たいがはさわさわと旨い

二つふす柿 見たわるに旨い

三つみかんは 酸い酸いと旨い

四つ羊羹は もつもつと旨い

五つ江戸菓子 ごるごると旨い

六つ蒸し菓子 ふかふかと旨い

七つなまがしや あんころ入って旨い

八つ焼餅や 小豆やついて旨い

九つ金平糖 がたがたと旨い

十でところてんは そべそべと旨い





【困るづくし】Top ▲

一つ一人子は 頼りなて困る

二つ双子は 見分けに困る

三つ見好い子は おしゃれで困る

四つ他所の子は じゃまになって困る

五ついらん子は 生れりゃ困る

六つ貰い子は 乳やなて困る

七つ泣く子は 子守べが困る

八つやんちゃな子は けんかして困る

九つ巧者な子は 小言まいて困る

十で歳のいった子が 色気付いて困る

色気だけなら 可愛げもあるが

すまいにゃ色目でなおさら困る



【言うは尽くし】Top ▲

江戸の真ん中 一番とも言うは

車に積んだは 荷とも言うは

女の大厄 産ともう言うは

姉ま小便すりゃ しいとも言うは

石を並べりゃ 碁とも言うは

百姓のとれたがは 苦労とも言うは

値替するもんは 質とも言うは

ちくり刺すもんは 蜂とも言うは

いっぱい心配 苦とも言うは

お灸すえれば ジューとも言うは



【炭焼きづくし】Top ▲

一つ人の目に 楽しそうに見える

二つ再び こんな商売すたくない

三つ見まねで 焼いた炭おこる

四つよき鉈 とがねば切れんじゃ

五ついつもかも 油断するちゃならぬ

六つ無理に焼きゃ 炭あ細くなるぞ

七つ泣き泣きけぶたても かまの木をよせる

八つ焼いた炭あ 値段が安てならんぞ

九つこの山 山の銭が高いぞ

十でとことこと 家へ帰らんにゃならぬ

盆の十三日に 勘定すて見たら

かかあの腰巻なんぞ 買う銭もなかった



【染めづくし】Top ▲

わしが殿まさん 木綿三尺もろうた

何に染めようと 紺屋の衆に聞けば

一に朝顔 二に杜若

三に下り藤 四に獅子牡丹

五つい山の 千本桜

六つ紫 桔梗に染めて

七つ南天 八つ八重桜

九つ小梅を 散らしに染める

十で殿さまの 好きな様に染めよ

そこで殿さまの おっしゃること聞けば

わたしや昔の 踊り子で御座る

どうせ染めるなら 蝶々に染めよ



【髪づくし】Top ▲

今の若衆 髪の毛が長い

一本つなげば 佐渡まで届く

二本三本 つないだならば

佐渡の金山 七まる八まる

そこで残りの 髪の毛をやれば

子供なんにする 凧上げ糸に

上がれ昇れよ 天まで届け



【髪づくし】Top ▲

今の若衆 髪の毛が長い

一本つなげば 佐渡まで届く

二本三本 つないだならば

佐渡の金山 七まる八まる

そこで残りの 髪の毛をやれば

子供なんにする 凧上げ糸に

上がれ昇れよ 天まで届け



【毛づくし】Top ▲
一つ人より 毛が生えてならぬ

二つふかふかと 毛が生えてならぬ

三つみったくなや 毛が生えてならぬ

四つよこにまた 毛が生えてならぬ

五ついやらっしゃ 毛が生えてならぬ

六つもっかもかと 毛が生えてならぬ

七つなんちょまた 毛が生えてならぬ

八つやわすや 毛が生えてならぬ

九つこじゃまなや 毛が生えてならぬ

十でとんでも無いこと 毛が生えてならぬ



【鶴と亀】Top ▲
さてもこれから 皆様方よ

この屋座敷は 目出度い座敷

上から鶴さんが 喜び下りる

下から亀どんが 喜び上がる

鶴と亀とが 舞い戯れる

そこで鶴さんの 囀ること聞けや

これさ亀どん これ亀どんよ

此で合ったも 因縁なれば

どうじゃ私と 夫婦になって

言えば亀どん 考えこんだ

そこで鶴さんの 言う事聞けば

足の長いのが 気にくわないか

首の長いが 気にくわないか

言えば亀どんが 首ふり上げて

足の長いは いやでもないし

首の長いのも さて厭わねど

この世世間の 言う噂には

鶴は千年 私は万年

遠い祖先の 伝えが御座る

貴方死なれた その後なれば

九千年の 後家の暮らし

それが何より 辛くてならぬ

作:宮坂 彦成



【殿ま口説き】Top ▲

おらが殿まが 何でもなさる

大工なされば 桶屋もなさる

人が頼めば 左官もなさる

時によったら 古金買いもなさる

情けないこた 餌刺が好きで

餌刺するとき 衣装から違う

紺の股引き ビロードの脚絆

脚絆甲掛け 八路の草鞋

腰に鳥かご 手に竿持ちて

ふらりしゃらりと ここの道ゆけば

ここはどこよと 子守衆に聞けば

ここは魚津の桃山林

もうちょっとあっちら行けや

小松原ござる

小松小枝に 小鳥が一羽

小鳥刺そうとて 竿振りまわす

竿が短し 中継ぎ持たぬ

そこで小鳥が 物言いかける

お前餌刺か わしゃ無情の鳥

今日は何日じゃと 日を繰ってみれば

今日は霜月 二十八日よ

生きた物さえ 取られぬ日だよ

家へ帰って お茶呑み咄し



【松づくし】Top ▲

一本目には アノ池の松

二本目には アノ庭の松

三本目には アノ下がり松

四本目には アノ志賀の松

五本目には アノ五葉の松

六つ昔の アノ高砂や

七本目には アノ姫子松

八本目には アノ浜の松

九つ小松を アノ植え並べ

十でとよくの アノ伊勢の松

日尾松、時松、蓮理の松

ちぎりをこめて アノ若恵比寿


【祭文について】
 祭文とは古代神を歌っている際に「区切り」を入れた間合いに、早口言葉でおもしろおかしく歌う文句をいう。元来踊りの輪がたるんできた時に踊り達に元気づけさせ、また見る人聞く人達を笑わし、盆踊りの雰囲気を和やかにするのが祭文である。おもしろい文句が沢山残っている。


○祭文文句Top ▲
(はやし)ジャントコイ ジャントコイ

じゃんとこいなら何じゃったい

何でもないこと申そうかい

大阪天満の真ん中で

滑ってころんで何拾うた

西瓜の皮でも持ったらはなすな

肥やすになるとはこれわい

どうとこへんなは

(はやし)アリヤアイトサー ヨイヤコノセー

※以下繰り返す



じゃんとこいなら何じゃったい

何でもないこと申そうかい

十七、八の姉ちゃんが

嫁入り前に死んだなら

あったらもんな あったらもんな

火葬場の肥やすになるとは

これいどうとこへんなは



じゃんとこいなら何じゃったい

何でもないこと申そうかい

旦那さんよ旦那さん

旦那もこのごろ出世して

東海道から箱根山

箱根のお山を登る時

小田原提燈ぶらさげて

毎日毎晩通わせん

鍋釜売っても妻売るない

かかわととの末代道具じゃ

これだけ言うたらがってんせんかや

これわいどうとこへんなは

じゃんとこいなら何じゃったい

何でもないこと申そうかい

おらが向かいのどら猫が

爺の茄子に爪立てた

婆は泣き泣き医者よぼる

そこで婆の言う事は

たとえ爺が死んだって

茄子だけは死なんようにと

念仏称えて言ったじゃないかいや

これわいどうとこへんなは



じゃんとこいなら何じゃったい

何でもないこと申そうかい

かいかいづくして申そうかい

どうじゃまめなか達者かい

一服せんかい休まんかい

今日なんじゃいお蝶六かい

そんなら一杯 飲まさんかい

飲んだらひとまず踊らんかい

でっかいかいなら日本海

小さいかいなら雀のかい

売ってあるのは女郎のかい

女郎買いしたても銭やないかい

貸すてやろかいなされんかい

なされんかいなら哀れなかい

哀れなかいなら婆さのすなべたかい

婆さんのかいなら撫でても撫でても

開かんかいとは

これわいどうとこへんなは



じゃんとこいなら何じゃったい

何でもないこと申そうかい

おらつの向かいの姉まのね

茄子売るにやったなら

茄子の名前を忘れては

印度人の金玉なんかいらんかって

言うてあらいたそいな

これわいどうとこへんなは



じゃんとこいなら何じゃったい

何でもないこと申そうかい

おらつのとなるのだら姉ま

栗木林のその下で

つっかけ小便じゃんじゃんと

下におった蛙がびっくりして

今年はなんちょう熱い雨が

降る年じゃとは 言うたそいな

これわいどうとこへんなは



じゃんとこいなら何じゃったい

何でもないこと申そうかい

風呂屋の三助裸でこい

へんどすじゃまなきゃ

となるの目くさる婆さんにあずけてこい

金玉じゃまなきゃさかるの女子に

あずけてこいとは

これわいどうとこへんなは



じゃんとこいなら何じゃったい

何でもないこと申そうかい

寒中寒なか雪が降る

子守子供が背中ふる

背中の子供が頭ふる

さかりの女が腰をふる

今日の踊り子さんの

お手手のふるのが一番上手じゃ

これわいどうとこへんなは



じゃんとこいなら何じゃったい

何でもないこと申そうかい

かいかいづくしでやろうかいな

支那と日本の国境

包丁買うなら泉州堺かい

日本で名高い富士山かい

高見りゃ雲かい下見りゃ海かい船頭かい

でっかいかいなら博覧会

小さなかいならすずめのかい

どうじゃ貴公よ達者かい

久しぶりだよまたないかい

お茶屋で一服やらないかい

ビールでも一杯やらないかい

ドジョウ汁でも吸わないかい

銭こがのうてやれないかい

なければちょっこら貸しましょかい

貸してもなされん哀れな貧乏なかい

娘のかいならあわびのかい

婆さのかいならなでてももんでも

開かんかい

朝もかゆかい昼間もかい

晩飯や一杯盛り切りかいなら

とっても音頭なんかとられるかい

これまで言うたらすってんでれ助

合点出来るかこれわいどうとこへんなは



じゃんとこいなら何じゃったい

何でもないこと申そうかい

ひかけてまがるはとんびの手

あぶって曲がるはスイカ「イカ」の手

寝てからひっぱる嬶の手なら

罰金なかろが

これわいどうとこへんなは



じゃんとこいなら何じゃったい

何でもないこと申そうかい

大寒小寒酒のかん

親の言うこと子がきかん

子供の言うこと親きかん

橋のらんかん屋根きかん

だらの奴なら気がつかん

ふにゃふにゃ男に嫁つかん

なまくら者には金つかん

えらいけなるには人つかん

音頭のへたくそ踊りつかん

年寄り色事腰やきかん

こんなむだ口文句にならぬじゃ

これわいどうとこへんなは



じゃんとこいなら何じゃったい

何でもないこと申そうかい

つくつくづくして申そうかい

米つくひざつくひじをつく

お寺の坊さん鐘をつく

師走になればもちをつく

犬がとびつく はねつく くらいつく

くらいついたらキズがつく

そのキズ目がけて医者がつく

あいたる港に舟がつく

その舟目がけて船頭つく

船頭の腰に金がつく

その金目がけて女郎がつく

夜さる女房のあわびつく

いつのまにやら腹がでっかくなって

目出度い子供が生まれた

これわいどうとこへんなは



【流し川崎について】
流し川崎とは、蝶六踊りの際に、大道音頭から古代神にうつり変わる時に歌う音頭である。通称「継なぎ音頭」または「合間音頭」と言われ、おもしろおかしく歌ったものが多い。

はやしでは「ソホリヤヨイ」と言う言葉が入るが、「ソリヤ良い」「ソリヤやれ」から変化したはやし言葉である。


【流し川崎】Top ▲

伊勢は津でも

津は伊勢でもつ

尾張名古屋は アノ城でもつ

姉まの腰巻きや

アノ紐でもつ

親父のへんどしや

アノ竿でもつ

坊主はちまきや 耳でもつ

(はやし)ソホリヤヨイ



地獄極楽

どちらが良いかよ

阿弥陀に任せた

この身体じゃもの

毎日念仏 忘らりょうか

(はやし)ソホリヤヨイ



山は焼けても

山鳥立たぬよ

恋し恋しと

アノ鳴く蝉より

鳴かぬ蛍が

アノ身を焦がすよ

鳴いて血を吐く

ほととぎす

(はやし)ソホリヤヨイ



花の浄土に アノ詣るには

み法一つは アノ菊の花

聞けば信心 アノ瓜の花

得れば摂取の抱き牡丹

(はやし)ソホリヤヨイ



向うに見えるは

丸矢の舟かよ

丸に矢の字の

アノ帆を上げてよ

北前船かよ

これわいどうじゃい

(はやし)ソホリヤヨイ



石の地蔵さんに

ふり袖着せれば

奈良の大仏 婿にくる

(はやし)ソホリヤヨイ



姉ま泣きたけりゃ

アノ背戸で泣けよ

背戸の松虫 ともに泣く

(はやし)ソホリヤヨイ



人の女房と

枯れ木の枝はよ

登りつめたら 命がけ

(はやし)ソホリヤヨイ



鴉なんで鳴く

女郎屋の屋根でなく

銭も持たんのに

カオカオ(買う)と

(はやし)ソホリヤヨイ



よんべ夜這いが

二階から落ちてよ

猫のまねすて

ニャオニャオと

(はやし)ソホリヤヨイ



里で赤いもんは

なんばかほうづき

山で赤いもんは

つつじの花だよ

まだも赤いもんは 猿の尻

(はやし)ソホリヤヨイ



粋なかすりの

モンペの中には

金をあずかる

アノ万があるじゃ

さあさがってんかよ

これわいどうじゃ

(はやし)ソホリヤヨイ



わしとお前さんは

蔵の米だよ

いつか世に出て

まま(飯)になる

(はやし)ソホリヤヨイ



地獄極楽

この世に御座るよ

おらが越中の 立山に

(はやし)ソホリヤヨイ



好いたお方と

そわれぬ時には

主と言う字を 逆に読め

(はやし)ソホリヤヨイ



よんべすたがけか

頭が痛いよ

二度とすたくないじゃ

箱枕

(はやし)ソホリヤヨイ



西院方の 阿弥陀様かよ

おがもとすれども

雲がかかあって

雲が邪険でも

アノなけれどもよ

我身が邪険で 拝まれぬ

(はやし)ソホリヤヨイ



喰いたい飲みたいは

アノ鼻の下よ

したいさせたいは

アノへその下じゃ

だれも若い時や 皆同じ

(はやし)ソホリヤヨイ



親爺その縄 なんの縄かよ

夜さる夜這いすて

縛る縄かよ

親爺やそんな事

言わんもんじゃ

(はやし)ソホリヤヨイ



よんべ産まれた

アノ熊猫がよ

父うあんの金玉に

アノ爪立てじゃい

かあちゃん泣き泣き

医者へ走る

(はやし)ソホリヤヨイ



踊り見に来て

アノ踊らんもんは

山じゃ木の根か

アノ萱の根かよ

スタンコスッタンタンでこれわいどうじゃ

(はやし)ソホリヤヨイ



小川のお寺で

踊るに疲れて

もすろで寝ればよ

空にはきれいな盆の月かよ

これわいどうじや

(はやし)ソホリヤヨイ


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